The Return Of The King

王の帰還』はもう一度劇場に見に行こうと決めていた。1000円で見られるのは今日だけなので、忙しいし雨降ってるのに決行。
今度は吹替え版を見ようと思ってて、調べたら池袋・新宿をはじめとして山手線圏内はどこのスクリーンでももう吹替え版をかけてない。信じられん。
やってるのは郊外のシネコンだけ。やっぱり吹替えはファミリー向けという位置づけなのだな。
しかたがないので原付でワーナー・マイカル・シネマズ板橋http://www.warnermycal.com/itabashi/まで行く。
シネコンに入ったのは久しぶりなのだけど、驚いた。*1
廊下といわず客席といわず、そこら中にポップコーンが散乱。ポップコーンを買うと山盛りで渡してくるようだから当たり前だわな。これだけ汚い店内は生まれて初めて見た。場内には腐った牛乳のような臭いがしている。内装は新しいのに居心地はボロ映画館以下。
映画を見ているときも、静かな感動的なセリフを言うシーンでもポップコーンを噛む音がそこらじゅうでしていて気になる。
映画が始まる前のオープニング映像でもポップコーンが爆発して散らばる映像使ってるし。アホかと。
「映画にはポップコーン」なんてアメリカのくだらない文化を日本に輸入しないでいただきたい。
もうよほどのことがないかぎりワーナー・マイカルには行かないことにする。

ともかく、二回目・吹替えということもあって、前回は字幕を追うのに必死でよく見れなかったシーンもいろいろ見れてよかった。(以下ネタバレ)

最初に見たときにシビれたシーンがいっぱいあったのだが、そのうちセリフや人物の演技じゃなくて情景そのもので感動してしまったシーンがふたつある。それは狼煙(のろし)リレーのシーンと、山の城塞都市ミナス・ティリスをピピンを前に乗せた白のガンダルフと白馬飛陰(トビカゲ)が駆け上っていくシーン。が、二度目で見ると、「あれっ? こんなに短いシーンだっけ?」というほど短く感じた。

戸田奈津子の変な日本語(『王の帰還』で言うと「コソつく」とか)は私も嫌いなのだが、最初に字幕で見たときに感動したセリフが、吹替えだと微妙に燃えない表現になっていた。(以下、うろ覚えだが)
・指輪を捨てるちょっと前

  • 字幕:サム「指輪の重荷を背負うことはできませんが、フロド様を背負うことならできます!」
  • 吹替:サム「指輪を運ぶことはできませんが、フロド様なら運べます!」

戴冠式のみんながホビットに頭を下げるシーン

  • 字幕:アラゴルン「君達は誰にも頭を下げる必要などないんだ」
  • 吹替:アラゴルン「お礼をするのはこちらの方だ」

これらは字幕の表現の方が良かった気がするな。原作の原語・日本語訳ではどうなっているんだろう?*2


ともあれ、アカデミー賞作品賞・監督賞を受賞http://www.walkerplus.com/movie/report/report1084.htmlしてよかった。心から祝いたい。前々作・前作はろくに受賞していないし、ニュージーランド映画・ファンタジー映画などということで、今回も取れないのかなあと思っていたので、ノミネートされた11部門全部獲ったので驚いた。完結するのを待っていたのか。
最初に見たときに書こうと思って結局書かなかったのだが、アカデミー賞制覇の尻馬に乗れる今だから言おう。
やっと新しい映画の伝説の誕生に立ち会うことができた。我々の世代は、これまでそうした特別の映画にはリアルタイムでは巡り逢うことができなかったのだ。とにかく、それを慶びたい。

*1:浜松にもシネコンはあったけど入口のホールに行っただけでポップコーンの異臭がして引き返していたのだ。

*2:王の帰還』のコメントが詳しいページ:http://app.memorize.ne.jp/title?file=10401&id=35_84149

破産

仕事の帰りにまた試写会があり、『HAZAN』http://www.hazan.jp/を見る。陶芸家板谷波山をモデルにした映画。
予想通り、芸術家の求道者としての厳しさとか、芸術のために家族を養うことを放棄して借金を作りまくるとか、それでも家族の絆を描きました、という感じの内容で、エンターテイメント万歳の私にはあまり好みではない。
劇中、波山の妻が子どもをどんどん生むのだが、上の子がぜんぜん大きくならないので時間の流れのスケールがぜんぜんわからん。
まあ、そのうち美術館で波山作品を見かけると思うので、そのときに思い出せれば、という程度かな。

試写会で『マスター・アンド・コマンダーhttp://www.movies.co.jp/masterandcommander/を。もともとあんまり期待してなかったんだけど、正直あんまし面白くなかった。『王の帰還』の後にはどんな戦闘シーンを見ても色あせてしまうのかもしれないけど。
ダメってほどではないが、アカデミー賞ノミネートとか、前評判が高かったので、「あまり期待できない」という予想を上回る出来なのかなとひそかに期待していた(ムジュン)のだが……。
原作は文学として評価が高いようで、それを忠実に映像化しようとしたみたいだから、原作読んでるようなインテリ層の評価が高いのかな? 映画はエンターテイメントであってほしい私にはあんましウケなかった。金払って見なくてよかった。
敵船は速力・装甲・砲撃能力いずれにもすぐれ、いかに装甲の弱い敵の後ろを取るか、いかに敵を油断させて接近するか、というようなタクティカルな面もあるんだけど、いまいち燃えさせきれてない。索敵戦をもうちょっとやってほしかったかも。
帆船マニアとか絶賛の映画だと思うので、おかしくないのかもしれないけど、最初の遭遇戦で敵船は大砲を命中させすぎだと思った。夜霧の中、2キロ先から初弾から命中させて、正確に舵を狙い撃ちなんてできんのか? 前に聞いたのだと、この時代の砲は命中精度が悪くて、しかも連射できないからしばらく延々はずしまくる戦いだというイメージがあるんだが。
ヒロインと悪役(敵役)がまったく登場しない(!)映画ってのも珍しい。この辺も原作ならではか。
試写なので、スクリーンはまあまあだったものの、2チャンネルスピーカーだったので音響が迫力なかったってのもあるのかな。

あ、あと、CMで少年兵モノを匂わせてたんだけど、あんましそんなんでもなかった。それを言うなら、むしろガラパゴス映画。
CMに関してはなんか抗議運動が起こってるらしい。http://www-fue.fukuoka-edu.ac.jp/~itasaka/hato/M&C.html http://www002.upp.so-net.ne.jp/kumiko-meru/mc_senden.htm(情報源:http://d.hatena.ne.jp/strange/20040222
批評等:http://d.hatena.ne.jp/kurawan/20040215

侍道2

http://d.hatena.ne.jp/AYS/20040201で『ラストサムライ』の感想を書いたら、id:cruyffさんから「ラストサムライは本当はラストインディアンなのですた」ということで、次の評を紹介していただいた。
ちなみに映画のネタバレ全開ですので。

http://www.yorozubp.com/0401/040108.htm

アメリカの贖罪と救済―
ラスト・サムライ』の中の「インディアン」
2004年01月08日(木)
中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

(……)
 ケビン・コスナー監督・主演の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(一九九〇)は、このような世界的な先住民族復権の機運の中で作られた、それまでの西部劇とは一線を画するインディアン映画であった。この映画の中では、インディアンはもはや絶滅されるべき野蛮人ではなく、白人とは違った独自の文化を持つ対等な人間として描かれる。古い西部劇の「文明対野蛮」という図式は、「異文化の交流」という図式に代わった。
 『ダンス』の主人公のジョン・ダンバーは、オールグレンと同じく南北戦争に参加した軍人である。物語の時期も同じ南北戦争後。両作の背景は似ている。私には、『ラスト・サムライ』は日本を舞台にしたインディアン映画に見えた。この映画のいくつかの「奇妙さ」は、これを擬装されたインディアン映画と見なすことによって腑に落ちるものとなる。勝元の村はインディアン部落に似ている。勝元軍と官軍の戦闘場面は、まさにインディアンと騎兵隊の戦闘である。剣と弓矢しか持たない勝元軍は、新式銃で武装した官軍に、まさにインディアンのように殲滅される。しかし、それはもはや「文明対野蛮」の戦いとしては描かれない。

なるほどなぁ。『ラストサムライ』と『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の関係についての指摘は大いに頷ける。前半までのこの指摘は卓見だ。だが後半アレレな感じになってしまう。

オールグレンのインディアンに対する心情は、ジョン・ダンバーよりもさらに先を行っている。彼には、自分が犯した罪への罪悪感と、自分にそのような罪を犯させたアメリカ白人文化への嫌悪感がある。

というのはやや言い過ぎの気がするけど。白人文化自体が嫌いというより、南北戦争で自分がしたことへの悔恨とそれを命令した上官への恨みとかその程度の描き方だったように思える。それで彼はアル中になり、その贖罪の機会を待っている(それがなぜか勝元といっしょに玉砕する、というのが答えになってしまうのだが)。
彼は自らがアメリカ軍人・アメリカ人・白人であること自体を少しも嫌悪していないのだ。
いや、そこからそういうテーマを見出そうとするのはアリなんだろうけど、そう見ようとしているからそう見えるだけなんじゃないだろうか。
こうバイアスかかりまくりの見方なので、論は次のように展開される(もしくは、後の結論を導くために意図的にバイアスをかけている)。

 さらにこの映画は、九一一事件以降、「テロとの戦い」に邁進する現在のアメリカの動きも間接的に批判している。
 冒頭にも述べたように、オールグレンが日本に派遣されたのは、武器会社が明治政府に武器を売り込むためであった。近代化に熱心な明治政府はフランス、ドイツ、オランダなどヨーロッパ諸国からは法制、建築、技術などを導入しようとしているが、アメリカから導入するのは武器だけである。これは、軍事国家アメリカ(現在のアメリカ)へのアイロニーに満ちた自己批判である。

この辺はid:ityou氏の予告を見てのこの映画の判断http://d.hatena.ne.jp/ityou/20040130のと正反対な見方だな。
ともかく、私は『ラストサムライ』はいわゆるアメリカの正義への反戦映画ではないと思う。

 映画の最後の場面では、若き明治天皇は、大村の補佐を受け、アメリカの武器会社と契約を結ぼうとしている。そこに、生き残ったオールグレンが勝元の形見の剣を持って入ってくる。天皇は勝元の刀(武士の魂)を受け取り、武器取引で私腹を肥やそうとしている大村を解任し、アメリカの会社との武器契約を取り消す。武器商人は憤然として御前から退出する。
 この場面に込められたメッセージは明瞭である。たしかに勝元は死に、「サムライ」の時代は過ぎ去った。しかし、「サムライ」の魂=武士道は、物質的には近代化=欧米化の道を歩まねばならない日本にも継承されねばならない。ただし、近代の武士道とは、決して単なる軍国精神であってはならない。日本はアメリカの軍国主義に盲従するのではなく、自国の伝統と精神性を大切にし、勇気をもって自主独立を貫いてほしい、と映画は語っている。なぜか? 武器しか輸出できないアメリカには、もはや「スピリット」が存在しないからである。もし日本までもがアメリカの言いなりになってその高貴な精神性を失ったら、インディアン虐殺(その背後には広島・長崎やベトナム戦争、さらにはイラク戦争までもがかいま見える)という大罪を犯したアメリカが、贖罪し救済される可能性はなくなる。安易に「日米同盟」(武器契約)に走るのではなく、日本が日本の「スピリット」を発揮することこそ、アメリカへの真の援助となるのである、とこのアメリカ映画は語っている。

え〜っ!? たとえばイラク自衛隊を送っちゃいけないとか、日本政府の対応を、この映画の作者氏は映画を通じてアドバイスしてくれてるんですかっ!? そんな。
明治天皇が最終的にアメリカ政府の申し出を蹴って勝元(渡辺謙)の遺志に共感を示した、というオチは、西洋近代文明よりサムライ魂の方が価値がありますよ、という表現でしかなく、単なるアメリカ人のオリエンタリズムというか、サムライニンジャの国への憧れでしかないと思った。
オールグレン(トム・クルーズ)はアメリカ政府が嫌いだったわけではない。先述したように、単に自分が過去にやったこととそれを命令した上官が嫌いであり、そういうトラウマを救済してくれそうなカッコよさげな思想を持ってるサムライとたまたま出会って感化されたにすぎない。
彼が最後に明治天皇にその選択を望んだのは日米政府それぞれのありかたを憂えたのではなくて、単に自分が好きだった勝元は正しくて、自分が嫌いだった上官が間違ってる、という個人的感情からである。そこに大局的な視点は、ない。
そもそも、映画は玉砕を諸手をあげて美化しているのだ。バカボムこと神風特別攻撃隊バンザイなわけだ。筆者はこの重要な点を意図的に無視しているように思える。
映画のメッセージは、「東洋的な思想はなんかカッコよさげ」であり、せいぜい「みんな、物質文明に浸ってばかりいないで、精神というものをもっと評価しようぜ」程度でしかない。
ここでの筆者は、自分の思想を人気映画に投影し、 それを援用して(無意識に?)自分の思想を広めようと我田引水しているだけにすぎないと思う。

→続きhttp://d.hatena.ne.jp/AYS/20040207

ありをり侍りいまそかり

映画の日だったので、『ラストサムライ』を見ようと思った。『英語でしゃべらナイト』で宣伝してたので気になっていたのだが、レイトショーでかけてくれないので映画の日待ちだったのだ。
池袋まで歩いていったら「立ち見」になっていたので、サンシャイン通り付近を徘徊。東急ハンズ混みすぎ。まんがの森は久々に行ったら店舗が広くなってた。
なんとなく埼京線で赤羽へ。特に収穫なし。池袋に帰ろうと思ったら新宿行きだったのでついでに新宿へ。間違ってアルタ前の出口から出てしまったが、そのまま歩いて西口ヨドバシカメラへ。さらに歩いて戻ってさくらやホビー館で物色。
ついでに『ラスト・サムライ』は新宿で見てしまおうと思い、新宿ピカデリーへ。PHSでwebを調べたら、紀伊国屋書店ビルの裏と書いてあった。以前、id:hiyokoyaさんと「新宿紀伊国屋で」と、待ち合わせしたとき、私は新宿で紀伊国屋といえばアルタの並びの、裏にさくらやホビー館があるところだろうと思っていたのだが、hiyokoyaさんに言わせると新宿で紀伊国屋といえば高島屋とくっついてる方だ、ということだったので、お互い違う方の紀伊国屋で待ち合わせるという、いわゆるリムルダールの街の恋人状態になったことある。
ということで、高島屋の方の裏なのかと思ってそっちへ行く(誤り)。途中、前に一度行ったことがあるラーメン屋の町田やhttp://www.machidaya.com/map_sinjuku1.htmlがあったので時間もあまっていたので食う。すいてた。
が、紀伊国屋の近くまで行ってみるとどうも映画館とかはありそうな気配ではない。さくらやホビー館の方に戻ると、やっぱりこっちだった。危ない危ない。http://www.shochiku.co.jp/cinema/theaters/map/shinjuku.html


映画の内容だが、昔のテレビドラマ『SHOGUN』のリメイクなのかと思ったら、ぜんぜんストーリーが違うのだな(『SHOGUN』もちゃんと見てないけど)。むしろゲームの『侍』(PS2、スパイク)のラストみたいな話なのか。つまりアレだ、あれに出てくるアフロ外人を主人公にした話と考えればよい。
戦闘シーンはなかなかすごかったが、ストーリーはどうかなあ。渡辺謙がそこまでして戦わなければいけない理由がぜんぜん伝わってこない。外人なら「コレガぶしどートイウモノデスカー!」で納得するんだろうけど。
「民を守るため」とか言ってるが、全滅するのわかってるんじゃ意味がない。「せめて少しでもいい戦いをした方が講和したときに苦い条件を飲まずに済む」とかいうなら捨石になるのもわかるけど、そうじゃないし。いたずらに敵味方の前途有望な若者たちを、渡辺が自分のヒロイズムの道連れにしただけと思われてもしょうがないのでは。
政府軍の悪役も、ぜんぜん悪役としての描かれ方が足りない。台詞で「私腹を肥やしてる」とかちょっと言われてるだけかよ! こいつが渡辺謙の村にやってきたら、民百姓にとっては地獄だ、せめてこいつだけは倒さねばならん、たとえこの命に代えてもッ!!……みたいな風にしなきゃダメでしょ。
私は映画の中の変な日本を見るのが好きなのだが、前評判通りそんなに変じゃなくて残念。そりゃ丘の上の皇居とかゲートとしての鳥居とかあるけどたいしたことはない。設定自体の時代考証についてはよくわからんが(渡辺謙はそもそも名前が苗字か名前か不明だったな)、渡辺軍は戦国時代すぎじゃないのか? 250年戦のない時代が続いたのに戦国時代ごっこできるのかなあ。まあフィクションだからいいか。
渡辺といえば劇中で流暢な英語を話せることの説明がまったくなかったな。それ以外はやけに英語を話せる人が多すぎ……ということはなかった。と、思いきやラストで明治天皇が英語で長々とつぶやいたり臣下に命令をッ!
そういえば小雪ガリガリすぎ。二人も子供いるようには見えない。むしろ鈴木京香とかの方がよかったんじゃないの?
まあ、戦闘シーンはなかなかなので、見て損な映画でもないが、記憶に残さなくてもいい映画だと思った。

メモ:同じ日に見て同じような感想を抱いた方:http://d.hatena.ne.jp/erohen/20040201、絶賛してる方:http://d.hatena.ne.jp/nunomeso/20040119http://d.hatena.ne.jp/iwatoby/20040127(水を差すコメントはヒドイ)、達観してる方:http://d.hatena.ne.jp/nave911/20040201#p2、歴史に詳しそうな方:http://d.hatena.ne.jp/janp/20040201

刺客列伝

ワイヤーアクション好きの弟が映画『HERO』を見たがってる。母も見たいらしい。ということで、3人で札幌ファクトリーのシネコンに行く。夜の1200円の回で。
私はCMで空を飛びながら珍妙なチャンバラをしているシーンが印象に残っていたので、『少林サッカー』みたいな大げさなアクションで笑う映画だと思っていたら、ぜんぜん違ってびっくり。

いや確かにアクションはオーゲサなのだが、物語は中国の故事っぽい雰囲気抜群で、よかった(マンガ『東周英雄伝』とかが好きな私)。信念のために簡単に命を捨てるとことか。秦王の法家思想とか。悟って平和主義者になっちゃう奴だけはちょっと釈然としないが。
アクションシーンの映像美はかなりのもの。ちょっと1シーンが同じような動きが続いてで間延びした感じもしないでもないが、アクションシーンがこれだけ多いこと自体すごいらしい。
あと、さすがに水の上を走ってすごいジャンプをするのはどうかと思うけど(いや、あれは証言ですらなく単なる想像の映像なのだけど)。

証言内容を視覚化して、それがどんどん更新されていくというのは、『羅生門』とか『戦火の勇気』とか最近やってるドラマの『CSI』などでもお馴染みの手法なのだが、「果たして真相は!?」というミステリ的な使い方をしているわけではない。
そうではなくて、その手法で敵・味方という関係性を解体することに使って、主要登場人物の総当たり戦的バトルに使う。このアイデアはなかなか面白い。

ぜんぜん期待してなかっただけに、かなり満足。これの監督や役者の他の作品も見てみたいところ。