侍道2

http://d.hatena.ne.jp/AYS/20040201で『ラストサムライ』の感想を書いたら、id:cruyffさんから「ラストサムライは本当はラストインディアンなのですた」ということで、次の評を紹介していただいた。
ちなみに映画のネタバレ全開ですので。

http://www.yorozubp.com/0401/040108.htm

アメリカの贖罪と救済―
ラスト・サムライ』の中の「インディアン」
2004年01月08日(木)
中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

(……)
 ケビン・コスナー監督・主演の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(一九九〇)は、このような世界的な先住民族復権の機運の中で作られた、それまでの西部劇とは一線を画するインディアン映画であった。この映画の中では、インディアンはもはや絶滅されるべき野蛮人ではなく、白人とは違った独自の文化を持つ対等な人間として描かれる。古い西部劇の「文明対野蛮」という図式は、「異文化の交流」という図式に代わった。
 『ダンス』の主人公のジョン・ダンバーは、オールグレンと同じく南北戦争に参加した軍人である。物語の時期も同じ南北戦争後。両作の背景は似ている。私には、『ラスト・サムライ』は日本を舞台にしたインディアン映画に見えた。この映画のいくつかの「奇妙さ」は、これを擬装されたインディアン映画と見なすことによって腑に落ちるものとなる。勝元の村はインディアン部落に似ている。勝元軍と官軍の戦闘場面は、まさにインディアンと騎兵隊の戦闘である。剣と弓矢しか持たない勝元軍は、新式銃で武装した官軍に、まさにインディアンのように殲滅される。しかし、それはもはや「文明対野蛮」の戦いとしては描かれない。

なるほどなぁ。『ラストサムライ』と『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の関係についての指摘は大いに頷ける。前半までのこの指摘は卓見だ。だが後半アレレな感じになってしまう。

オールグレンのインディアンに対する心情は、ジョン・ダンバーよりもさらに先を行っている。彼には、自分が犯した罪への罪悪感と、自分にそのような罪を犯させたアメリカ白人文化への嫌悪感がある。

というのはやや言い過ぎの気がするけど。白人文化自体が嫌いというより、南北戦争で自分がしたことへの悔恨とそれを命令した上官への恨みとかその程度の描き方だったように思える。それで彼はアル中になり、その贖罪の機会を待っている(それがなぜか勝元といっしょに玉砕する、というのが答えになってしまうのだが)。
彼は自らがアメリカ軍人・アメリカ人・白人であること自体を少しも嫌悪していないのだ。
いや、そこからそういうテーマを見出そうとするのはアリなんだろうけど、そう見ようとしているからそう見えるだけなんじゃないだろうか。
こうバイアスかかりまくりの見方なので、論は次のように展開される(もしくは、後の結論を導くために意図的にバイアスをかけている)。

 さらにこの映画は、九一一事件以降、「テロとの戦い」に邁進する現在のアメリカの動きも間接的に批判している。
 冒頭にも述べたように、オールグレンが日本に派遣されたのは、武器会社が明治政府に武器を売り込むためであった。近代化に熱心な明治政府はフランス、ドイツ、オランダなどヨーロッパ諸国からは法制、建築、技術などを導入しようとしているが、アメリカから導入するのは武器だけである。これは、軍事国家アメリカ(現在のアメリカ)へのアイロニーに満ちた自己批判である。

この辺はid:ityou氏の予告を見てのこの映画の判断http://d.hatena.ne.jp/ityou/20040130のと正反対な見方だな。
ともかく、私は『ラストサムライ』はいわゆるアメリカの正義への反戦映画ではないと思う。

 映画の最後の場面では、若き明治天皇は、大村の補佐を受け、アメリカの武器会社と契約を結ぼうとしている。そこに、生き残ったオールグレンが勝元の形見の剣を持って入ってくる。天皇は勝元の刀(武士の魂)を受け取り、武器取引で私腹を肥やそうとしている大村を解任し、アメリカの会社との武器契約を取り消す。武器商人は憤然として御前から退出する。
 この場面に込められたメッセージは明瞭である。たしかに勝元は死に、「サムライ」の時代は過ぎ去った。しかし、「サムライ」の魂=武士道は、物質的には近代化=欧米化の道を歩まねばならない日本にも継承されねばならない。ただし、近代の武士道とは、決して単なる軍国精神であってはならない。日本はアメリカの軍国主義に盲従するのではなく、自国の伝統と精神性を大切にし、勇気をもって自主独立を貫いてほしい、と映画は語っている。なぜか? 武器しか輸出できないアメリカには、もはや「スピリット」が存在しないからである。もし日本までもがアメリカの言いなりになってその高貴な精神性を失ったら、インディアン虐殺(その背後には広島・長崎やベトナム戦争、さらにはイラク戦争までもがかいま見える)という大罪を犯したアメリカが、贖罪し救済される可能性はなくなる。安易に「日米同盟」(武器契約)に走るのではなく、日本が日本の「スピリット」を発揮することこそ、アメリカへの真の援助となるのである、とこのアメリカ映画は語っている。

え〜っ!? たとえばイラク自衛隊を送っちゃいけないとか、日本政府の対応を、この映画の作者氏は映画を通じてアドバイスしてくれてるんですかっ!? そんな。
明治天皇が最終的にアメリカ政府の申し出を蹴って勝元(渡辺謙)の遺志に共感を示した、というオチは、西洋近代文明よりサムライ魂の方が価値がありますよ、という表現でしかなく、単なるアメリカ人のオリエンタリズムというか、サムライニンジャの国への憧れでしかないと思った。
オールグレン(トム・クルーズ)はアメリカ政府が嫌いだったわけではない。先述したように、単に自分が過去にやったこととそれを命令した上官が嫌いであり、そういうトラウマを救済してくれそうなカッコよさげな思想を持ってるサムライとたまたま出会って感化されたにすぎない。
彼が最後に明治天皇にその選択を望んだのは日米政府それぞれのありかたを憂えたのではなくて、単に自分が好きだった勝元は正しくて、自分が嫌いだった上官が間違ってる、という個人的感情からである。そこに大局的な視点は、ない。
そもそも、映画は玉砕を諸手をあげて美化しているのだ。バカボムこと神風特別攻撃隊バンザイなわけだ。筆者はこの重要な点を意図的に無視しているように思える。
映画のメッセージは、「東洋的な思想はなんかカッコよさげ」であり、せいぜい「みんな、物質文明に浸ってばかりいないで、精神というものをもっと評価しようぜ」程度でしかない。
ここでの筆者は、自分の思想を人気映画に投影し、 それを援用して(無意識に?)自分の思想を広めようと我田引水しているだけにすぎないと思う。

→続きhttp://d.hatena.ne.jp/AYS/20040207