3.自分の正しさを実感する


我々は、投票速報をまるで競馬の結果を見るかのように見守る。
俺が投票した馬は勝ったのか。俺の判断は正しかったのか。

つまり、こういうことだ。

俺が投票する人間が落選する→俺の判断は間違い→俺はえらくない
俺が投票する人間が当選する→俺の判断は正しい→俺はえらい

「俺はえらい」という気持ちを味わいたいがために、人は当選しそうな候補者に投票するのだ。

集団意思決定が正義とされる民主主義ならではである。

そういえば、「出馬」とか「投票」とか、競馬と選挙は語彙が重複している。
みんなその類似性を無意識に感じてのネーミングだろうし、逆にこの類似性によって影響されている、なんてこともあるかもしれん。