血液型性格判断・ゲーム脳・マイナスイオン・「水にありがとう」は嘘。「視点・論点 まん延するニセ科学」

先日放送された「視点・論点 まん延するニセ科学」がネットで話題になっている。
論者は、「と学会」にも所属する大阪大学教授の菊池誠氏。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=300&date=2006-12-18&ch=31&eid=2337

視点・論点まん延するニセ科学」
チャンネル :教育/デジタル教育1
放送日 :2006年12月18日(月)
放送時間 :午後10:50〜午後11:00(10分)
ジャンル :ニュース/報道>解説
大阪大学教授…菊池誠

Youtubeにアップロードした人がいて、それで見た人も多いようだ。
動画↓
http://www.youtube.com/watch?v=9LNRYsyWgEY

(論者自身もYoutubeに上がっていることについて特に不快感を示していないようなので、リンクを張っておく)
論者のブログ↓kikulog
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1166547413
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1166633551

テキスト起こしをした人も。↓
うしとみしよぞ - 視点・論点まん延するニセ科学」
http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20061221/shiten
(以下、菊池氏の発言はここから抜粋させていただく)



冒頭で、ニセ科学の例として、「血液型性格判断や、マイナスイオンや、ゲルマニウムブレスレット」とさらっと発言。

この血液型占いを科学だと信じている人は多すぎる。
女子高生とかが「えっとー、アタシ、B型だしィー」とか言っているのはまだいいけど、
テレビとかでいい年をした名優とかが「AB型ですからね、○○なんですよ」とか大真面目な顔で話しているとアイタタタという感じである。

血液型性格診断を信じているのは日本人と韓国人ぐらい。海外の人は、自分の血液型を知らないのが普通。

血液型性格判断を心理学的に否定する本の定番。

血液型と性格

血液型と性格

今回、よかったのは「ゲーム脳」という森教授独自の固有名詞を、「ニセ科学」とバッサリ言い切ってくれたこと。

よく知られている例の一つは、『テレビゲームをし過ぎると、脳の機能が壊れる』といういわゆる「ゲーム脳」説です。しかし、この説に、科学的に信頼しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセ科学」です。

知っての通り、「ゲーム脳の恐怖」の版元はNHK出版だったためか、あれほどアホな本であるにも関わらず、NHKは批判的な番組を作らなかった。

ゲーム脳の恐怖 (生活人新書)

ゲーム脳の恐怖 (生活人新書)

ようやくこういうことができるようになるまで、ほとぼりが冷めたという感じなのだろうか。
それでも、すでに4年経っている。

NHKは以前、ニセ考古学ともいえるグラハム・ハンコック神々の指紋」の内容を紹介する番組とかも放送していたので、けっこうニセ学問を流通させるのは得意だったりする。
まあ、民放ほどではないが。

神々の指紋 (上) (小学館文庫)神々の指紋 (下) (小学館文庫)

次に、「水にありがとう」説。
こんなアホなことを言っている学者がいるという話は聞いたことがあったが、道徳の授業で使われているとは知らなかった。
(「水からの伝言」と言うらしい)

水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ

水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ

水からの伝言―世界初!!水の氷結結晶写真集 (Vol.2)

水からの伝言―世界初!!水の氷結結晶写真集 (Vol.2)

水に「ありがとう」と言葉をかけると、きれいな結晶ができ、「ばかやろう」と言葉をかけると、きれいな結晶ができないというのです。

この説が、いくつもの小学校で、道徳の授業で使われていることが問題になっています。言葉遣いを教えるのに、格好の教材と思われたようです。

問題なのは、言葉遣いの根拠を、水という物質の振るまいに求めようとしていることです。

言葉は、人間同士のコミュニケーションの手段ですから、その使い方は、あくまでも、人間が自分の頭で考えなくてはならないはずです。「ありがとう」はどんな状況下でもいい言葉なのか。それを考えてみれば、この話のおかしさは分かるはずです。

ゲーム脳」がしつけの根拠を科学に求めるものだったのと同様、ここでは、道徳の根拠を自然科学に求めようとしています。それは科学に対して多くを求め過ぎです。

しつけも道徳も、人間が自分の頭で考えなくてはならないことであって、自然科学に教わるものではないはずです。

この指摘は、教育者はもっと真剣に耳を傾けなければならない。

ゲーム脳も、水にありがとうも、オジさんが信じたいことを言ってくれた人がいたからそのまま信じてしまうという現象。
大本営発表で日本軍大勝利!」を信じてた時代から何も進歩してないよ。
いや、「日本軍大勝利!」は検証する手段に乏しかったのに比べて、いまはちょっと考えたりちょっと調べればわかることなので、余計にひどいかもしれない。



お説教の典型例が、3年B組金八先生言ったとされる、漢字の例の話だ。

3日めくり 金八先生'07贈ることば 2007年 カレンダー「3年B組金八先生」25周年記念メモリアル―すべての人に捧げる“贈る言葉” (カドカワムック (No.202))

「人という字は、人と人が支えあっている」というありがたいお話である。

この話には、いくつか問題があるのだが、

一番の問題は、上記の「道徳の根拠を自然科学に求めようとしている」のと同様、「道徳の根拠を漢字に求めようとしている」ことだ。

少し考えればすぐわかることなのだ。

人という字が、人と人が支えあっているから、なんだというのだ?

「人と人が支えあうことは素晴らしい。」
それはまあ、正しいだろう。正しいような気がする。そのこと自体はとりあえず、いい。

だが、その根拠が「漢字の形」というのは、まったく因果関係が生まれない。

古代中国人が、道徳の道具として漢字を生み出したならともかく、まったくそんなことはない。

「三匹の子豚」の話のような寓話なら、「過去の失敗事例・成功事例」として教訓となりえるが、漢字は逸話ではないし、教訓的な文学作品でもない。


たまたまそう見えるだけである。本来、そこには何の説得力も発生しない。

しかし、人は騙されてしまう。

「知っていると思ったものに、そんなヒミツがあったのです!」と言われた驚きで、判断力が麻痺してしまうのだ。

知らなかったことを教えられたということで、心が扉を開いてしまう。
一時的に「信じる」モードになっているので、お説教も、なんとなく信じてしまうのだ。

このお説教の詐術。

「この包丁は、電線も切れます!」とか、目の前で実演販売をされると、電線を切ったりはしないのについ買ってしまうのと、ある意味似ているのかもしれない。

気をつけなければならない。


ちなみに、人という字の成り立ちには、二人の人は関係ない。
一人の人の形から成り立ったと考えられている。
(だいたい、二人の人間を表した象形文字だったなら、「二人」とか「カップル」という意味になってしまうではないか)

つまり、この話は根本的なところから捏造なのである。



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3年B組金八先生 伝説の教壇に立て! 完全版

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