against the stream

AYS2004-07-17

研究会。
三鷹まで原付で行こうとしたら迷って、遅れた。宮本さんの発
表を最初から聞きたかったのに迂闊。
当日の模様は夏目房之介さんが書かれています。
http://www.ringolab.com/note/natsume/archives/001878.html

発表ではみなさん、よしなが作品から、かなり高度なことを読み解こうと試みられていて、マンガ史にも疎くて、女性向けマンガリテラシーの低い私にはけっこうついていけてない部分が多くて、ほとんど発言できませんでした。
そこで、ここでは私のレベルで考えることができた点を、書いておきます。


まず、以下は宮本大人さんの当日のレジュメより引用。

2.2 並ぶこと、向かい合うこと
重要な場面で、向かい合っているはずの位置関係にありながら、画面上では同じ方向を向いた形で描かれること(「イマージナリーラインの一致」を著しく逸脱した描き方)が多いのでは。
並ぶこと→同じ方向を見ること、横に開くこと→三者関係にも四者にもなりうる。男/男/…関係。『こどもの体温』。『西洋骨董洋菓子店』小野と千影←まっすぐ向かい合う関係に入ってくる千影に小野が耐えられない。
向かい合うこと→1対1の関係=「二者関係」に入ること。女(母)/女(娘)の場合、厳しい対立関係に。『愛すべき娘たち』麻里と雪子。
女/女の和解:前後に同じ方向を見て並ぶ。麻里と雪子。
女/男が向かいあう位置関係に入ること。『愛すべき娘たち』莢子と不破のみ。←莢子は初めて会ったとき、不破の横に並んで座る。
「分け隔てること」ができない=向かい合う関係に耐えられない。かといって横に並ぶという幸福な関係は、よしなが世界ではおそらく男/男にしか許されていない。←『愛すべき娘たち』においても「ボーイズラブ」作家であり続けている。

関係性の多様さとは、他人を求める感情の多様さに他ならない。日常とともにある「親密さ」としかいいようのないもののうちに存在する、多様さなのだ。
つまり、よしながふみは、我々の「親密さ」を、もっといえば人をお互いに求め合う感情そのものを、まるごと祝福しようとしているようにみえる。
(伊藤、前掲[引用者注:伊藤剛さんhttp://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20040601])

「正面から視線を合わせないような関係」の多様さを特に繊細
に描く、と言うべきではないか。

(写真は、宮本さんが引用されていた『こどもの体温』『愛すべき娘たち』より)

私も、よしなが作品のイマジナリーラインhttp://www.fmworld.net/biz/celsius/3dcg/2000_0926_2.html)が無視されまくりな表現にやや違和感を感じていた。
今回宮本さんが例として紹介した図の部分は、私も気になっていたところだったので、前回の研究会の飲み会の際、恐れ多くも竹宮惠子先生に「このページは……どうなんでしょう?」と遠慮がちに聞いてみたりもしたのだった。
私の感想は、違和感があるので印象的なシーンではあるけれども、あまり効果的ではない気がして、正直、あまり上手くはないのではないかと生意気にも思っていたのだが、竹宮先生曰く、別に下手ではないとのことだった。

これら二つのシーンの違和感の理由は、主に2点に集約される。
同じ顔の向きのコマが、連続することがまず1点。
もう一点は、二人の登場人物が会話しているのに、顔を向かい合わせていないことである。
連続するということでは、アニメーション的に細かい表情を分節して描いて、細かい感情の機微を表現しようとしたのではないかと考えられる。
成功しているかどうかはともかくとして、それはよい。

問題は、顔を向かい合わせていない点だ。4人とも、右を向いている。なぜ右なのか。
下の方の、若い男二人は、友人の墓参りをしているので、二人とも墓に向かって話しているのは、まあ不自然ではない。(表現的には違和感があるが)
上の方の、老人と中年男は、亡くなった老人にとっての娘、中年男にとっての妻について語っているのだ。

すなわち、双方のケースとも、死んだ人間について語り合っているといえる。
例によって夏目房之介さんたちがよくおっしゃっていることの受け売りだが、日本のマンガは通常右から左に時間が流れる。
ゆえに、左向きが順方向で、右向きが逆方向である。
だから、どこかへ出かけるシーンを描くなら左の方に進むのがより自然だし、帰宅するシーンを描くなら右方向に進むように描くのが違和感が少ない。
ここまでは、私の実感としても大いに納得できるのだ。*1

死んだ人間のことを回顧するというのは後ろ向きな行為なので、逆方向である右向きで正しい。
だから顔の向きに関しては、よしながのこの描き方は正しいのだろう。

……と、一度はそう納得した。
だが、ひょっとしてよしながは、そもそも右向きの顔を描くのが好きなんじゃないか? と思い直した。
で、ざっと調べてみると(正確にカウントしてないくて恐縮だが)、よしながの絵では、右向きの顔の方が(たぶん圧倒的に)多い。
特に「今月のハイライトのコマ」みたいな、決めのシーンでは、ほとんど右向きになっている。

一般に、右利きの人は、右向きの顔よりも左向きの顔の方がずっと描きやすい、と思う(私もそうだ)。
右向きばかり描きがちな、よしながふみは、たぶん左利きなのではないか、などと邪推してみた。

もちろんケースバイケースだが、日本のマンガでは、順方向である左向きの顔が並んでいるほうが、流れに逆らわないので読みやすくなるはずである。
一方、よしなが作品では、逆方向である右向きの顔が多い。
よしなが作品におけるイマジナリーライン無視、人物の配置に関する混乱は、よしながが右向きの顔を描きたがるためではなかろうか。
私がよしなが作品に感じるある種の読みづらさは、おそらくそんなところにも一因があるのではないか、と思ったりした。*2


(昼休みを利用して書いたので、詳しい出典などは夜に加筆します。特に「向かい合うこと」に関して、宮本さんは『愛すべき娘たち』からそれを示す端的な台詞を指摘されててシビれましたので、そのことに関しても加筆したいと思います。)
あと、これまで「断ち切り」(ページからコマがはみ出すこと)をしてこなかったよしながだが、新作『大奥』では断ち切りまくり、というどたなかの(夏目さんだったかな?)指摘。気づかなかったッ!

*1:ちなみに、『BSマンガ夜話』で映画監督が語っていたのだが、東海道新幹線東名高速とかもそうだろうな)などを撮るときは、南側から取るべきだと。つまり大阪から東京に行くシーンなら、左から右へ移動しなければならない。理由はいうまでもないだろうが、地図では上が北だからだろう。

*2:誤解されぬように断っておくと、もちろん、そんな単純な理由だけなわけがない。そうであればあれだけの方々が長時間、侃侃諤諤したりしない。