AYS2005-02-23

東京国立博物館唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=1024
3月6日まで。
盧舎那仏(でかい)とか四天王像とかを白バックで見れるっていうのがすごい。寺じゃ暗くてよく見えないし、横や後ろが見えない。
盧舎那仏は例によってパンチパーマだが、実は後頭部がハゲてたのだな。
いろんなアングルから見れるので、「そうだ京都行こう」CMのカメラマンになった気になれる。ついベストアングルとかどうパンするかとか考えてしまう。
唐招提寺は京都じゃなくて奈良だけどな!(今回知った)

彫刻としては、梵天帝釈天立像の手が柔らかそうな感じで気に入った。

展示の点数が多すぎずいい感じ。

実は半分、東山魁夷展なのだった。行くまでぜんぜん知らなかったよ。
唐招提寺には魁夷の、無茶苦茶贅沢な襖絵(1975-80年頃製作)がいっぱいあるのだった。ということは、莫大な金かけたんだろうな。今回の改修に当たって寄付の呼びかけしてるけど、金いっぱい持ってるんじゃないの? と思った。
襖絵は半分は写実的で、水や山がきれい。一見するとデジカメ写真をフォトショップでいじって貼ったのかと見紛う。SFとかで壁がスイッチひとつで風景になるっていう、ほとんどそれ。半分は水墨画風。

教科書でお馴染みの鑑真和上坐像もアリ。
日本に来ようとして5回も失敗したのは有名だが、けっこう「計画段階で失敗」というのも含んでたのね。帰ってネットで調べたらここに載ってた。
http://washimo.web.infoseek.co.jp/Report/Mag-Ganjin.htm

(1)天平15年(743)、56歳のとき、弟子の密告によって第一次渡航計画失敗。
(2)同年、第二次計画を立てるが、狼溝浦で遭難して失敗。
(3)天平16年(744)、57歳のとき、渡航計画が発覚し、栄叡がつかまって第三次計
   画失敗。
(4)同年、黄巖県禅林寺で役人に日本行きを妨げられ、第四次計画失敗。
(5)天平20年(748)、61歳のとき、東シナ海季節風に遭い、漂流し海南島に流れ
   着き、第五次計画失敗。天平勝宝2年(750)、63歳のとき、失明する。

ということで、
http://www.nipponhyojun.co.jp/search/syakai/6_jinbutu/jd2/ganjin.html

10年間に5回も海をわたりましたが失敗し

というのはガセ。ということになる。
でも、5回目で遥か南の海南島まで流され、中国を陸路大縦断して戻るハメになっても諦めなかったのはすごい。
ついでに、いま調べたら「実は失明してなかったんじゃないの?説」が唱えられているのを発見。
http://kisosuu.cocolog-nifty.com/zakki/2004/10/post_44.html
そもそも、有名な「失明した」という話は、当時の文献に載ってるってわけじゃなかったのだろうか? だとしたらけっこういいかげんな定説だな。