指導の手引き

渡辺浩弐*1が『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』(PS2)http://www.chunsoft.co.jp/game/3b/index.htmlについてこんなことを書いている。
http://spa.fusosha.co.jp/e-enter/main.html

4月28日
チュンソフトの潔さ」
・『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』(PS2/6月24日発売予定)をテストプレイさせてもらいに、チュンソフトに。
・すごく、わかりやすい。ゲームをほとんどやったことのない人でも、解説書を読まなくても、すぐにはまれるだろう。プレイ中メモも取らなくて構わない。そういうゲームだ。ゲームの裏側の構造を意識せずにすいすい先に進めるところが良い。
・いや僕たちはそれを意識したいんだよ、と言う人は多いだろう。
緻密なメモを作成しながらのプレイが楽しいんだ、と。例えば分岐の選び方によるシナリオ構造の変化パターンをしらみつぶしにすること。例えば登場キャラクター一人一人のパラメーター変化を逐一推測しながら進めていくこと。そういうことの大好きなマニアが実際、現在のゲーム市場をぎりぎり支えているともいえる。そしてチュンソフトは全ての作品において圧倒的な作り込みによって、そのニーズを納得させてきたメーカーだ。
・しかしこのゲームでは、そういうマニア向けのサービスをすっぱり切り捨て、「物語」に回帰しているように思える。ここにはチュンソフトの大胆な思い切りがあるのではと推測する。
・この話、完成版をきちんとやり込んでから続きを書きたい。"『金八先生』はサウンドノベルではなく美少女ゲームである"論も。

「登場キャラクター一人一人のパラメーター変化を逐一推測しながら進めていく」ってのは『ガンパレ』『エヴァ2』をやってる人々がやってることだろう。
そこまで極端でなくとも、ゲームプレイヤーはそうして無意識下にゲームを解析して、より効率よく、より意図した結果を出せる術を身に着けていく。それが「攻略」と呼ばれる行為だ。
攻略の要素は、難易度が適切であれば、ゲームをプレイすること自体のモチベーションとなる。『かまいたちの夜』は基本的に違う選択肢を選ぶとどうなるかというバリエーションに対する興味をモチベーションにする設計であったが、『街』では因果のパズルを解くことによってただひとつの結末(「正解」)を導くという、いわばゲーム的な要素がモチベーションとしていた。
渡辺氏は、『金八』がそのいずれでもないと指摘している。では、そのモチベーションとなる要素は何なのか。それは指摘されていない。("『金八先生』はサウンドノベルではなく美少女ゲームである"論がそうなのか?)
魅力的なストーリーなのか。キャラクターなのか。いずれにせよ、ゲームである意味はあるのか、といういつもの議論になりそうだが……。

ゲームプレイヤーである我々は、あまりにも攻略することに適応しすぎているといえるが、ゲームに限らなくても、まともに社会生活を営めている人々は、あらゆることに対して、より効率よく、より意図した結果を出せる術を身に着けている。それを「学習」という。

『街』がそうだったが、チュンソフトはゲーム作りは巧いが、センス的に微妙な部分も散見される。
今回の金八からは『街』のときのようなセンスのダメさをみんな感じていると思うのだが、どうなのだろう。そもそもなんで『金八』なの、と。
『街』はそのセンスに目をつぶればとても素晴らしい作品だったので、『金八』もそうだといいのだが。
だけど『かまいたちの夜2』で金をかけまくって作った割に肝心の内容がダメダメすぎだったという前科もあるからな。様子見しておこう。

ザッピングの回数制限や、「才能開花」システムhttp://www.chunsoft.co.jp/game/3b/system04.htmlはかなりゲーム的に見えるんだけど。

*1:ちなみに私は渡辺浩弐氏のショートショートが大好きであり。