http://www.bridgestone-museum.gr.jp/expositions/special.html
東京駅へ移動。本日のメイン、大丸ミュージアム田中一村展に行ったら、最終日の前日で土曜の夕方ということで超満員。
閉店間際の方がまだ空いているだろうということで、近くのブリヂストン美術館へ。2度目。
企画展もぐるっとパスで無料だぜイエイ! こっちはすごく空いてた。いい美術館なのになあ。ゆっくり見れるのはいいけど、大丈夫なのか?

山下新太郎展
2004年4月9日(金)- 6月6日(日)
 東京美術学校で油彩画を学んだ山下新太郎は、5年間、パリに留学しました。その間、ベラスケスや印象派の描法や色彩に注目し、特に、ルノワールに深く影響を受けました。この巨匠のアトリエを訪ねた山下は、《水浴の女》(当館蔵)を譲り受けます。この裸婦像は、日本に最初にもたらされたルノワール作品のひとつでした。留学時に一気に体得した表現はフランスでも評価され、《読書》(当館蔵)などにより続けてサロンに入選しています。滞欧作は帰国後次々に発表され、その画期的な色彩表現は、1910年代の若い画家たちに大きな影響を与えました。
 「画家にとって大切なのは手ではない、それは眼だ、眼が画を作るのだ」。ルノワールの助言を山下は生涯、大切にします。みずみずしい色彩と明るい光線が織りなす光と影によって、家族の肖像や気に入った風景を自然光の下で描き続けました。彼の、柔らかく、優しさにあふれた家族像には、絵の中に仕合わせを描き込もうとしたルノワールに通じるでしょう。
 また、絵画制作だけではなく、表具師の家に生まれた山下は、留学中に油彩画の修復や額縁にも関心を持ちます。科学的知識や修復技術も身につけ、帰国後は我が国の油彩画修復の先駆者ともなりました。研究成果をまとめた『絵の科学』は、この分野の古典的な名著とされています。額縁収集も手がけた彼は、吟味した額に自作を入れました。今も彼が選んだ額でそのまま飾られている作品が少なくありません。
 今回の展覧会では、山下新太郎の代表作、優品約80点を一堂に集め、彼が手がけた額縁収集や修復を含めて、山下の画業の全体像を紹介いたします。

公式ページで山下の絵を見ればわかると思うのだが、山下の絵は印象派的な肖像画しすぎていて、特にフランス時代のはなんか日本人が描いたんじゃないような絵(のように私には見える)。
ところが日本に帰ってくると、絵のモデルは当然フランス人じゃなくなる。
公式ページにも載っている「《供物》 1915年」は帰国してから結婚した奥さんを描いた絵なのだが、どこか顔が西洋人風である。やっぱりフランスかぶれだと日本人を描いてもこうなるのかなあ、とか思いつつ解説を読むと、どうやらこの奥さんは西洋人とのハーフっぽい。そうだったのか。
図録の解説が絵の横についているのは親切だったけど、かなり下だったので腰を曲げないと読めないのが辛かった。
娘や息子が生まれると、子供の成長をビデオに録りまくる現代の親馬鹿パパよろしく、息子や娘をモデルにした肖像画を描きまくる。
タッチがルノワールとかみたいなのに、視点が日本のマイホームパパなので、かなり珍妙な世界ができてて面白かった。
常設展もちらっと見る。