閉店1時間前に戻ってみると、まあまあ普通に見れるぐらいにはすいていた。
http://www.nhk-book.co.jp/magazine/event/tanaka/
http://www.daimaru.co.jp/museum/schedule/tokyo/index.html

奄美群島日本復帰50周年を記念して、奄美を描き続けた孤高の田中一村の全貌と魅力に迫り、奄美時代の代表作をはじめ、初公開作品を含めた約130点を展覧、画業60余年のすべてをご紹介いたします。一村は、明治41年栃木県生まれ。7歳で児童画展にて文部省を受賞、大正15年東京美術学校(現・東京藝大)に入学しますが、3ヶ月足らずで学校を去ります。昭和22年川端龍子主宰の青龍展に入選するも龍子と意見をわけ画壇に登場することはありませんでした。昭和33年12月、50歳の折に、老いへの不安を抱きながら一村は、すべてを置いて米軍の統治から復帰したばかりの奄美に独り渡ります。大島袖の染色工で最低限の生計を立てながら、アダンの木やビロウ樹、クワズイモといった亜熱帯の珍しい植生を描き続ける中で、奄美独特の自然や風土が一村の絵画世界に新しい要素と魅力を与えていきます。「画壇の趨勢も、見て下さる人々の鑑識の程度なども一切顧慮せず、ただ自分の良心の納得がいくまで描いています。」との言葉通り、一村の信じ貫いた崇高な画道が、奄美が本来秘めている宝玉のような景観、逆光の中に見出す独特の魅力を、気品あふれる作品として結晶させていきます。一村は、奄美で暮らした19年間で30余点の作品を残し、昭和52年69歳の生涯を閉じます。画壇や賞とは無縁の画家が今日ここまで人々に愛されるのは、絵に込められた一村の鮮烈な生き方が現代人の心に深い共感と感動を与えているからかもしれません。

招待券をいただいたので行ったのだが、とても良かった。こんな画家がいたとは。
行く前にどういうプロフィールの画家かちょっと聞いたとき、なんかゴーギャンみたいな人だなあと思ったのだけど(単に南の島に行って創作したというだけだけど)、実際に『日本のゴーギャン』というタイトルの田中一村本があるようだ。でも、中央で認められたいと思って孤独に作品を描き続け、ついに生前は評価されず、死後に高く評価されたという悲劇性はむしろゴッホか。死後に評価されただけ作家としては幸運な方なのかもしれないが、やはり寂しい。
デパートでの展覧会なので、規模は小さめかと思いきや、一村のすべてがわかるようなもの。点数は100ぐらいあったと思う。初期の作品から、晩年に絵のために自分で撮った写真まで展示されているし、会期中現地の美術館に行く人のために大作は全部持って来れなかったものの、それでも複製画で補完していた。(まあ、複製はやはり複製で近くで見るといろいろ甘いのだが)

代表作である、晩年の大作郡は、基本的に花鳥画である。個々の動植物は、基本的にひじょうに写実的に描かれている。蝶の羽の模様や鳥の毛の描きこみが細かい。しかも絹に染めている。
それでいて、放射状に伸びるソテツの葉のように、幾何学デザイン的レイアウト。いいなあ。
気に入ったので、珍しく図録も買う。でもやはり図録サイズでは大作の細かな描きこみはわからんなあ。

下記のスケジュールで巡回するようなのでぜひ。

  • 平成16年4月28日(水)〜5月9日(日)大丸ミュージアム・東京
  • 平成16年5月12日(水)〜5月24日(月)大丸札幌店
  • 平成16年5月27日(木)〜6月8日(火)大丸ミュージアムKOBE
  • 平成16年6月12日(土)〜6月21日(月)山形屋文化ホール(鹿児島)
  • 平成16年6月25日(金)〜7月5日(月)学校法人桐蔭学園メモリアルアカデミウム(横浜)