MINDSEEKER

http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20040301

顔を見たい人は色々いるわけですが、とりあえずid:fs_gohhoさんとid:ityouさんはどんな顔で生きてるのか興味津々なので、よかったら晒してくだせえ。

というわけで、今日はid:fs_gohhoさんとid:ityouさんの文章を引用してみる。どちらも、批評家として自己に表現上の禁止ルールを課している求道者。
http://d.hatena.ne.jp/fs_gohho/20040227

■ [文章] タブー「作者が意図していない感情を書くこと」 12:24
例えば古いモノクロ映画に対して「白黒なのが静謐な空気を出していて逆に良かった」なんて感想を書いてしまうこと。それは作者の意図を読んでいることになっているのか。お前の話を聞きたいんじゃない、おれは映画の話を聞きたいんだ。
■ [文章] むろん 12:24
スーパーガンバリゴールキーパーのように、作者の意図せざることが、別口の感情を引き起こすことは多々ありえる。何が意図で何が意図でないかを見分けられる目と、書き分けられる文章力が欲しいものです。

う〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
このfs_gohhoさんの主張だが、後半の「何が意図で何が意図でないかを見分けられる目と、書き分けられる文章力」は異議なしなんだけど、前半の「それは作者の意図を読んでいることになっているのか」というのには違和感を覚える。
イイタイコトは後半なのであって、前半はたまたま目にしたダメ批評を例に出しただけなのかもしれないが。

http://d.hatena.ne.jp/ityou/20031225

作品について書いたり喋ったりする際、話が、製作者の努力や思量を評価する方向に転がっていってしまうことが、しばしばあります。これは避けたほうがよいです。

このityouさんの主張、実は力点は例によって「評価する」ことの是非であって、「作者の努力や思量」を読もうということの是非じゃないのだが、fs_gohhoさんの意見と反対のことを書いているように見えるので強引に引用してみた。

批評的な目で見ると、どうしても無意識に作者の意図を読んでしまうが*1、結局のところ制作者がそのとき何を考えていたかなど憶測することしかできず(インタビューでの作者の証言は必ずしも信用できないし、本人だってそもそも覚えてない)、作者の意図を正しく読むというのを批評の動機や目的にしてしまうと、なんだか受験国語のくだらない読解力テストみたいになってしまうのではなかろうか。
作者の信者が教祖に少しでも近づきたいという動機ならともかく。(あるいは作者の意図が自分の主義主張と同じだと強引に論じてしまうパターンhttp://d.hatena.ne.jp/AYS/20040205 http://d.hatena.ne.jp/AYS/20040207

ごく稀に何らかの作品の作者の人に質問できる機会に恵まれるが、いつも質問しづらいのは、「俺はアンタの作品を見て、アンタの意図をこうだと推測したんだけど、これあってるよね??」みたいな答え合わせを目的とした質問大会になりはしないか、ということなのだ。
で、たいていは(いろいろ熱く語りたいことはあったとしても)無難な感想を言って相手の反応を見て、あわよくば相手が勝手にしゃべりたいことをしゃべってくれないか期待する、というふうになりがちで、インタビュースキルのなさに鬱々とするわけだが。

前にも何回か言ったり書いたりした記憶があるが、批評的な文章を書いていて一番気持ちいいときは(読者の方が誉めてくれたときを別にすれば)、「ひょっとしてこれ気づいて指摘したの世界で自分だけかも!? というかむしろ作者自身もたぶん気づいてないんじゃなかろうか!?」(と錯覚する)という瞬間だ。
それをもし作者氏が聞いたなら、「いや、そこまで考えて作ったわけじゃないよ」と正直に謙遜するか、「いやぁ、よくわかったねぇ…」と(いや、そこまで考えて作ったわけじゃないんだけど)と内心では思いつつ曖昧に同意するしかないような、作者の顕在意識を超越し、なおかつ作品を客観的に見たときに理屈としてちゃんと筋が通っている指摘。
そういう指摘を、私はしたい。

たぶん宮本茂は特に深い考えを持って『スーパーマリオブラザーズ』のゴール地点に金の斧を置いたわけではない、と私は想像する。
だが宮本茂が当時どう考えていたかなどということは、ここではどうでもいいのだ。『スーパーマリオ』という作品が事実そうなっていて、それが『スーパーマリオ』のゲームデザインの素晴らしさを語るための端的な例となっていること。そのことに私は感動を覚えるのである。

*1:そもそも我々の世代はビデオゲームをプレイする=制作者の意図を読んで攻略法を発見しなければならないという訓練を無意識に積んでいるのでそうなりがちなのかもしれない