Why done it?

必読です。キリコさん「ゲームとしての物語―1. 「物語のルール」とサスペンス―」http://red.ribbon.to/~kiriko/rule1.htm
(掲示板該当スレ)http://sweetbox.miyu.ws/sbbs1/bbs?id=kiroko&action=res&num=31
特に「異議なし!」ですし、下手に語っても次回以降の内容とかぶってしまうことが予測されなくもないので、引用はもう少し様子見の方向で。

私は小説をほとんど読まないので、キリコさんの書評関係は残念ながら十分楽しむことができないのですけれども、最近の映画評で素晴らしかったのはこれ。
アンドリュー・スタントン 『ファインディング・ニモ
http://red.ribbon.to/~kiriko/reviewm31.htm
特に父魚と子魚の「動機」についての整理と指摘が出色。

まずキャラクター設定が非常にしっかりしています。例えばマーリン。ダイバーに捕まり、広い世界のどこに行ったかもわからぬ息子を探すという途方もない旅を強いられるわけですが、その理由付けがお見事。母親と子供たち(卵)を守れなかったというトラウマだけでも充分なのですが、そのトラウマのせいで一人息子のニモを過保護にしてしまい、結果的に反感を買ってニモを危険に晒してしまった……という二重の動機が与えられていて、何度も死の危険に晒されながらも旅を続ける姿に説得力を与えています。
 ニモに対しても、「水槽から逃げ出さないと殺される」という切実な問題プラス、「父親を心配に晒してしまった」という自責の念が設定されており、逃亡することに関するモチベーションが一層高まっている。

(その後、冒頭に紹介したゲームとしての物語―1. 「物語のルール」とサスペンス―の実例が見事に指摘されていますので、ぜひ併読を。)

登場人物の動機と行動といえば、先日私はビデオで『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!栄光のヤキニクロード』を見たのですが、そのときに感じたダメさの理由をうまく説明してくれてるサイトがあるので、例によって我田引水させていただきましょう。
m@stervisionさんhttp://www.ne.jp/asahi/hp/mastervision/archive2003a.html

だが、その戦略を効果的に実現するための「脚本」に難がある。だってあーた、せっかくの焼肉デーに限って「正体不明の謎の秘密組織」が野原一家を拉致して熱海にある本部へ連行しようとする。野原一家は敵の手を逃れるうちバラバラになりながらも、敵のボスに会って誤解を解くべく、それぞれに敵の本部がある熱海を目指す──。
え、話が理解できない? しょーがないなあ。もう1度だけ言うぞ。次から次へと野原一家に襲い来る敵の魔の手。はたしてしんのすけたちは、捕まって熱海へ連れて行かれることなく、無事に熱海へ辿り着けるのか!? えーと・・・バカですか?>水島努。てゆーか、それじゃ話が進めば進むほどゴールであるヤキニク(=春日部)から離れちゃうじゃんか。なにを考えておるのだ。物語(=エモーション)に奉仕しない画力はどこまでも無意味だ。

敵は野原家を熱海のボスのところに連れて行こうと戦闘ヘリとかで捕まえようと追ってくる。野原家はボスに会って誤解を解くため、それを避けつつ、わざわざ自転車や徒歩で埼玉県春日部市から静岡県熱海市まではるばる敵のボスに会いに行く。すべては春日部の我が家にあるヤキニクを食べるために。……って何それ。
しかも行きはあんなに苦労したのに、帰りは普通に電車で春日部に帰ってヤキニクを食うし。
シンプルに熱海から春日部へのロードムービーでよかったのに何を考えてたんだろう。
ジェットコースターのシーンとか、洋画のパロディとか映像的にはなかなか見ごたえがあったんですが。