萌え要素の組み合わせ

ミロのビーナスの話。
http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031019

# mihael2 『くう、まだわからない^^; ミロのヴィーナス像はどうでしょう? あれを見て、本来あるべきはずだった両手(=<欠如>)に対して惹かれるわけではないですよね。「手がついてないから評価に値しない」とも言わない。手がついていたら評価されなかったかもしれない。このあたりが<ズレ>ですか?』
# hiyokoya 『なるほど。』
# hiyokoya 『みはえるさんの質問について考えてみたんですが、ミロのヴィーナスは難しいですね。一瞬、<ズレ>と<欠如>の境界例かな、とも思ったのですが、』

ミロのビーナス萌えとは、また難しい例をもって来ましたなあ。一気に話がややこしくなって別の方向に。(いや、面白いんですが)
「本来あるべきはずだった両手(=<欠如>)に対して惹かれる」というのはあるんじゃないですか? 想像力が刺激されるからいいという。いろいろ想像している学者もいるようですし、「モナリザのモデルは誰か?」という話みたいに、謎として楽しんでる人は少なからずいると思います。

で、ミロのビーナスを考えるうえで問題となってくるのは、

A.ミロのビーナスは美術品である。
B.ミロのビーナスは歴史的遺物である。
C.ミロのビーナスは壊れている。
D.ミロのビーナスの壊れる前の姿は不明である。

の4つのポイントぐらいでしょうか。

A.ミロのビーナスは美術品である。は、見ると形がいい萌え。基本的には以上。
B.ミロのビーナスは歴史的遺物である。は、昔の人が作った萌え・昔の人が作ったのが残ってる萌え・歴史の証人となる物体萌えとかですね。
C.ミロのビーナスは壊れている。は、壊れたものに対する萌えですね。はかないものに対する萌えも基本的にはこの範疇。
D.ミロのビーナスの壊れる前の姿は不明である。は、もっとややこしくて、ミステリアスな要素萌えです。さっき書いたモナリザのモデルとか。

基本的に、Aの美しいというのは基本的萌えポイントで、無意識に他の萌え要素のベースあるいは加速装置となるものだと思います。

B+Cのパターンで、破壊された遺物萌え。ポンペイ遺跡の石膏でとった死体の型なんかと近いかな。

腕がないからこそ美しい萌えは、Aだけか、A+Cですかねぇ。腕があったらもうちょっと美術品としてイマイチだったんじゃないかと言われているし。ややこしいな。
実際は今挙げた要素の全部があるから、人気があるんじゃないかと。

これがミケランジェロダビデ像だと、Aの要素が中心で、ミロのビーナスよりも弱いかもしれない(歴史が浅いから)Bがあるぐらいですね。なんか謎があるならDもですけど私は知らない。

以上、「腕がもともとあった」という観点から書きましたが、井上さんが「『それはそれ』で別物としてみる」とおっしゃっていたhttp://d.hatena.ne.jp/AYS/20031024ように、むしろ最初から腕はないものとして萌えることはできますね。トルソーのようなものとして見るというか。胴体萌え(顔もついてるけど)。

で、さらに井上さんがさらに色々と。

# hiyokoya 『「壊れたもの」を見つめる視線には、おそらく僕が当初考えていたよりも多様な視線があって、それらの視線に対していくつかの説明を与えることができるのではないかと思います。』
# hiyokoya 『1.(壊れる前のものを知っている場合に)壊れる以前の情景を想起させながら見る』

これは私の書いたB+Cだと思うんですが、むしろ壊れたかどうかは関係なくてもある萌え要素Bといってしまえるのではないでしょうか。

# hiyokoya 『2-a.(壊れる前のものを知らない場合に)「<壊れている>という痕跡そのもの」を見る。壊れる以前の状況を漠然と想起しているような場合。』

これはB+C、Bだけ、Cだけそれぞれ場合が考えられますね。

# hiyokoya 『2-b..(壊れる前のものを知らない場合に)「<壊れている>という痕跡そのもの」を見る。壊れる以前の状況は想起されずにただ<壊れた痕跡>そのものを一つのデザインとして見つめる場合』

これはむしろAの要素かな。BとかCとかがくっつく場合もありますが、基本的にはA。

# hiyokoya 『上の区分を仮に用いるとして、例えば、ただ<壊れた痕跡>そのものを一つのデザインとして見つめるような場合(2-b)は、<ズレ>たものとして見つめているのではないかと思います。』
# hiyokoya 『逆に壊れる以前の情景を漠然とであれ、明確にであれ想起しているような場合は<欠如>を見ているのではないか、と。』

何に対して「ズレ」ているのかというのが不明のような。完成直後の姿に対して、でしょうか?
私はミロのビーナスはABCDのどの見方をしても良く、その中のどれかが本来の見方だとは思いませんので、ズレたもの、という表現があまりしっくりこないのですが。

# hiyokoya 『もちろん、このような区分を厳密にしていっても、<ズレ>と<欠如>の境界は曖昧なものだといわれてしまえば、その通りだと思うので、区分にこだわりたいわけではありませんが、とりあえず感触の違いを説明するための区分として(逆に話をややこしくしているような気もしますが………)』
# mihael2 『<ズレ>と<欠如>の境界<なるほどなるほど。』
# mihael2 『2-c..(壊れる前のものを知らない場合に)「そのもの」を見る。壊れる以前の状況も想起されず、またそれが壊れているという認識も無く<そのもの>を一つのデザインとして見る場合』
# mihael2 『というのは考えられますか? 「FF8はココが駄目だからクソゲーだ」と言われると「作者はホントはこうしたかったんだけど、時間が無くて出来なかったんじゃないかな。それがあればもっと面白くなってたとは思うけど、その心意気はわかるし、俺は今のこのFF8が好きだから別に駄目とは思わない」と考えるんですけど、これは<欠如>と<ズレ>の境界では無いでしょうか? 単に意志が弱いだけ?^^;』

という話ですが、

「FF8はココが駄目だからクソゲーだ」と言われると「作者はホントはこうしたかったんだけど、時間が無くて出来なかったんじゃないかな。それがあればもっと面白くなってたとは思うけど、その心意気はわかるし、

までは、こうした肯定的な視点に立つと、みはえるさんの未完成萌えかと。http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031025
あるいはもっとシニカルな視点に立つとの伊藤さんの「ある一つの世界をシミュレートしようという人間の(無謀な)努力の美しさ(?)と、それが(当然)崩壊するさまのヒステリックな楽しさ」となります。http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031023
が、次の部分

俺は今のこのFF8が好きだから別に駄目とは思わない」と考えるんですけど

は、むしろ井上さんの「これはこれでイイ」かな?http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031024
なぜ「今のこのFF8が好き」なのかは不明ですが。

(おわかりかと思いますが、ここでの「萌え」は東浩紀氏が熱く語っているような話ではなく、単に「…がイイと感じる」というような意味で使っています)
ミロのビーナス画像は→http://www.louvre.or.jp/louvre/japonais/collec/ager/ager_hp.htm http://www.take.co.jp/i/ga/t3/venusofmilo.html