画面は開発中のものです。

はえるさんの主張編。
http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031019

# mihael2 『ありうる世界のバリエーション < それって、壊れている砂の城を見て、本来建つ筈だった(と自分の中で勝手に予想する)砂の城を投影して「美しい」と感じるって事でしょうか。自分はそういうタイプです。』
# mihael2 『っと、これは「崩れた砂」と「(頭の中の)城」を同一視しているのであって、「ここをこうすれば良かったのに」って意味じゃありません(ああ、うまく説明出来ない。やっぱボキャブラリが足りないにゃあ)』
# hiyokoya 『ええっと、今日のトリビアネタですけど戦前の通天閣凱旋門の上にエッフェル塔をおったてたものだったのだそうです。』
# hiyokoya 『でも、凱旋門エッフェル塔も経験として知っている人はおそらく、凱旋門エッフェル塔の混合物であるその奇妙な建築物に対して、はじめのうちは両方の残骸の奇妙な融合として見えてしまって戸惑ったりしてしまうと思うのですが、』
# hiyokoya 『見慣れているうちに「それはそれ」で別物としてみることが可能になってくるのではないか、と思うのです。』
# hiyokoya 『mihaelさん的な感覚というのは例えば、廃墟を見ているときに感じる美しさとか、そういうものだと思うのですが、』
# hiyokoya 『「廃墟」的な美しさとは少し違う気がしますね。現在、見えているものの中にある<欠如>に対して魅かれるのではなくて、<ズレ>の世界に魅かれる感覚だと思います。美しい廃墟ではなくて、イビツで荘厳なものに感動しているというような。』

ここで書いている みはえるさんのは、廃墟萌えではなくて、むしろ未完成萌えじゃないでしょうか?
いったん完成したものが壊れた廃墟に萌えるのではなくて、完成には至らなかったものの、完成形が垣間見える未完成作品の中に完成品を見て、想像上の完成品に萌えるという。