プロジェクト×

砂の城の話。
ityouさんの主張編(だと思う)。

コンピューターゲームって、虚勢を張って世界を模しているんだけど、(まあ当然)シミュレートしきれずに壊れている。ボロボロに壊れている。そういう「世界が壊れている」という世界観が萌えるんだよにゃー。
(……)
ある一つの世界をシミュレートしようという人間の(無謀な)努力の美しさ(?)と、それが(当然)崩壊するさまのヒステリックな楽しさ、という話です。

そのココロは?

http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031019

# ityou 『コンピューターゲームって、虚勢を張って世界を模しているんだけど、(まあ当然)シミュレートしきれずに壊れている。ボロボロに壊れている。そういう「世界が壊れている」という世界観が萌えるんだよにゃー。
ん? 今かなり良いことを言い始めている予感。
一応見た目は整っている世界に放り込まれるわけよ、我々は。で、さっそく隅っこをつついて確認してみると、やっぱり壊れている。斬った相手がお茶を出してくれたり、「今あいつに会うと刺される!」とかって逃げ回って裏から手を回して対処してすごい不自然なのにラブラブ状態に復帰できたり。
その壊れ方の動作確認を通じて、その世界を司る(この現実世界よりずっと粗暴な)真のルールを洗い出し、それを利用して「力」を蓄積拡大してその世界の超人となるのが燃えるっつう。
いわばわれわれが少年時代に倫理道徳の時間や親教師から教わった理想的建前世界およびその実際の運用面の壊れっぷりを動作確認して大人の階段のぼってくようなアレ。』
# AYS 『「ん? 今かなり良いことを言い始めている予感。」(笑)』
# AYS 『「真のルールを洗い出し、それを利用して「力」を蓄積拡大してその世界の超人となるのが燃える」っつーのはなるほど、おっしゃる通りですね。裏技ブームなんかで体験済みなんです(今の子はどうなんだろ?)。が、利用するにも価しないゲームシステムだったら萎えるわけですよ。』
# AYS 『一見整然としたルールの抜け道を見つけるのは燃えるのですが(これは現実世界も同じか)、一見したルール自体があまりにも杜撰だと、そのルールに則ってること自体がアホらしくなってきて、抜け道を見つけようとかいう気にはならない。いや、マゾ的ヤリコミストはともかく。』
# ityou 『いや、「一見整然としたルール ←→ 裏技」とは違くて、世界と、それが実は壊れている、というシチュエーションの話なのです。
だから世界を模そうとしていないシューティングゲームとかで裏技を見つけるのとは違う。
ある一つの世界をシミュレートしようという人間の(無謀な)努力の美しさ(?)と、それが(当然)崩壊するさまのヒステリックな楽しさ、という話です。』
# ityou 『ボードSLGとかでも、独ソ戦のダイナミックな攻防劇を描く筈のゲームが、「フィンランドに篭城するスターリン」「それに対抗してセバストポリに篭城するヒトラー」などの狂った展開を発生させることがあります。そのような戦略について語り笑うウォーゲーマーの瞳には、狂った世界を眺める楽しみのヒステリックな熱があるのです。』
# ityou 『少々第二次大戦の知識がいるけど、ボードSLGにおける狂った世界の快楽例: http://www.gamejournal.net/bknmbr/wite.html http://www9.ocn.ne.jp/~saphisgc/Tragic01.htm
# uel砂の城は壊れてこそ美しいわけですな。』
# AYS 『シミュレーションには失敗していても対戦ゲームとしては面白いとか、対戦相手とのコミュニケーションが面白いならいんですが、一人遊びのビデオゲームだとそういわけにもいかず。『超クソゲー』みたいにゲームと離れた場所でけなして楽しむという手はありますが』
# hiyokoya 『「コンピューターゲームって、虚勢を張って世界を模しているんだけど、(まあ当然)シミュレートしきれずに壊れている。ボロボロに壊れている。そういう「世界が壊れている」という世界観が萌えるんだよにゃー」の部分には激しく同意。私もそんな感じです。』

というと、不可能とも思えることに挑戦して、失敗して散っていった者の悲劇を見るような感じ?

私が『侍』に感じたダメな感じは、遠くから見たらすごくよくできてると思った模型が、近づいてみると意外にも仕事が雑とかと似た感じで、私は興ざめする感じなんですが
遠くから見るためだけのものなら別にいいんですが、近づいて見られること前提のものだったら、ですが。それでも萌えますか?