自由の牢獄

以前、私が「『侍』はシナリオ自動生成を目指したのにフラグ管理すら満足にできないダメゲー」というような感想をもらしたら、井上さんに「ぜんぜんそんなことは思わなかった。むしろけっこう面白かった」というようなことを言われた。

私はどちらかというと具体的なシナリオがあるゲームを好む傾向にあるが、線的なシナリオがなかったり、シナリオ性に乏しいゲームそのものが嫌いなのではない、と思う。『ロマンシング・サガ1』『2』はけっこう好きだった。
しかし、『ロマサガ』は複数のイベントの前後関係などがほとんど気にならない仕様になっており、ちぐはぐな印象はそれほど受けなかった。繋がり・流れというものがあまりないなあ、という気はしたが、繋がり方がおかしい、までいかなかった。特に矛盾はしていないからだ。
しかし『侍』は違う。茶屋の娘やアフロ侍に突然斬りかかったりしても、他のエリアに行って戻ってきた頃には彼らはそんなことをすっかり忘れ、フレンドリーに付き合ってくれる。これは明らかにムジュンしています!
こういうのは他のゲームでは当たり前だったから、特に気にはならない。そのような行動は枝葉の部分であっていわゆるゲームの本筋とは何の関係もないからだ。フラグが立つ(プレイヤーの行動が―たとえ一本道シナリオであっても―ゲーム進行上意味を持つ)のはもっと別なところだと無意識に理解しているのだ。しかし、『侍』ではそこでのプレイヤーキャラクターの行動こそ、ゲーム進行上意味を持つと私には感じられたのだが、ほとんどそうではなかった。そこに意思決定の意味はなかった。
過程は自由といえば自由だが何をやってもほとんど意味のない退屈な時間。結末は強制イベントになって、しかもどの分岐に行ってもたいして変わらない。どこが楽しいのか私には理解不能……理解不能……だった。