探偵倶楽部

特にネタが思い浮かばなかったので、以下のようにお願いしました。

2003-10-18 他力本願
ううーむ、昨日から書くネタが特に思い浮かばない。
何かネタふり、質問・コメント要求とかないでしょうか。

コメントありがとうございます。回答編その1。

# mihael2 『逆転裁判風ゲームが他社から出ないのはなんでなのでしょう?(ネタふりか?)』 (10/19 12:02)

http://d.hatena.ne.jp/AYS/20031008

シンプル2000シリーズで、おそらく『逆転裁判』の影響を強く受けたであろう『THE 裁判』というのが出るらしい。(情報源:http://www.famicom-plaza.com/news/news.htmlの10月7日)

と書きましたが。
逆転裁判』は題材にしろゲームシステムにしろ、発明的なものなので、明らかにパクリとわかってしまうから出しづらいというのはあるんでしょうね。さらに推理アドベンチャーは売れない時代なので、パクってまで出そうという気になかなかならないのかも。『逆転裁判』もその知名度の割にはそんなに販売本数が出てるわけでもないですし。

# mihael2 『推理小説では、読者への挑戦は基本的にフェイクであるというセオリーがあります。本当に論理的に犯人を暴くことが出来てしまうと、作家の知能が平均だとして、読者の半分が犯人を当ててしまうからです。そのため、大抵は、解決編において探偵のアクロバティックな推理によって論理性の欠如をごまかすという形を取ります(と、有栖川有栖がクイーンを評して言っていました)。』 (10/19 12:07)
# mihael2 『みはえるは、ゲームにおいてプレイヤーに「推理」が要求されると、上記の問題が発生してしまうため、プレイヤーが「あっと驚く」為には、無関係なコマンド入力が事件解決の決め手になるという手法を取るしかないと考えていました。』 (10/19 12:10)
# mihael2 『その意味では逆転裁判推理小説のゲーム化とはちょっと違うようですね(今1の2章が終わったところなのでなんともいえねーですけども)』 (10/19 12:12)

有栖川の発言の文脈はよくわかりませんが、読者は作者による情報開示をもとに謎を推理(もしくは展開を予測)します。
推理作家の手腕はトリックの発明においてのみではなくて、この情報開示のさじ加減に発揮されます。
ミスディレクション(ミスリード)。伏線を伏線と気づかせなくする工夫。
読者が格闘しなければならないのは事件の謎とではなく、むしろそうした作者の隠蔽工作となのです。
それまで読者に知らされていなかった事実を持ち出して探偵が推理を披露するのは反則ですが、たとえ読者の大半が見過ごすような形であっても事前に情報提示があったならばOK。
いかに「知っていたのに気づかなかった」と読者に思わせることができるかが(この場合の)推理作家の腕の見せ所でしょう。
ところが『逆転裁判』ではプレイヤー≒探偵で、プレイヤー自身が謎を解けなければなりませんから、直前の情報提示でかまいません。むしろ情報を小出しにして逐一推理させるからこそ、推理によってゲームを進めることができるわけです。大発明。

推理小説での読者の推理というのは何に関して・何を手がかりに推理しなければならないのかが不明なので、想像力が必要ですが、『逆転裁判』の場合は何を使って何に関して推理すればいいかすぐわかるクイズですので、誰でも解けるわけです。(『2』ではこの辺ダメになったのは以前書いた通り)

「探偵のアクロバティックな推理によって論理性の欠如をごまかす」に関してはクイーンも有栖川も読んだことがないのでなんともいえません。これまで書いたのはもう古典的というか典型例ですが、最近の日本の推理小説はなんかいろいろブッ飛んでるようですし。

この手の話はやはりキリコさんのお力を借りるしかありますまい。

ところで、推理小説での推理というのは、しばしば作者の意図を推理することであり、これはあらゆる物語作品の先の展開を予想するのとよく似た行為です。ビデオゲームにおいてゲームシステムを理解し、攻略法を見つけ出す思考プロセスも、基本的にこれと基本的に同じではないかと。この辺、もうちょっと深めて考えたいと以前から思っている件なのですが。

(21日0:37追加)みはえるさんが引用箇所を送ってくださいました。

有栖川 クイーンのロジックは数学的だ、とさっき口走ったけれど、これは本当の数学という意味じゃなくて、やっぱりレトリックなのね。僕は前から考えてたんだけども。言わせてね。これ(笑)。犯人当てというのは本来困難なんですよ。困難と言うよりは不可能。きちんとあらゆるデータが書いてあったら、読んだ人間、つまりデータを受けた人間全員がわかるはずなんです。なのに探偵役一人しかわからないというのはあり得ない。だって読者は何万人といるのに。それはやっぱり嘘なんです。本当は一人もわからないことを、探偵だけがわかるように作者が細工しているんですよ。AだからB、BだからC、CだからDという論理展開があったとしますよね。AだからB、あ、そうだな。これは確かにわかる。BだからC。そうか。と、ここまではいいんだけれども、CからDには実は橋が架かっていない。そこへは本当は渡れないはずなのに、無理して飛んでいる部分があるから読者はたどり着けないんです。それを探偵は一人だけずるして飛んでしまう。つまりAからCまでが説得力をもっていたら、CからDの橋が架かってなかったり不完全でも、思わず見逃してしまうということだと思うんです。やっぱりレトリックなんですよ。
二階堂 その架け橋を探偵が見つけるわけですよね。
有栖川 うん。その橋が全部架かっていたらみんな渡れるはずなのに、探偵しか渡れないということでしょう。エラリー・クイーンしか渡れない。これは実は、作者ににずるさせてもらっている。その時だけ橋を支えてもらっているみたいなインチキがあって、作者はそれをレトリックでカバーしている。そのためには解決編のプレゼンテーションがうまくないと読者が、あ、今おかしな事を言ったというふうに引っかかるところをレトリックでクリアーする。クイーンはよくこんな手を使う。犯人の条件は五つある。まず第一に犯人の性別はこうだ。第二、これを知っていた、というふうにやっていきますよね。その時の盛り上げ方は最高だと思うの。そこがうまいから、CからDの橋が実は不完全だというところが見逃されてしまう。だから犯人当てというのは不可能なのに、エラリー・クイーンは成立させているかのように見えるというのは、プレゼンテーションのうまさ、レトリックのうまさというところが大きいのかな。AからBへの橋があっと驚くほどの橋だったら、あとはけっこうだませたりするんです。あるいは最後の一つがよかったら、もう全部いけたなというふうに読者が錯覚する。そういうことをやっていたんだと思いますね。これはほかの作家には感じない。エラリー・クイーンの犯人当て以外は、ほのめかしの曖昧な伏線ばかりだから。
芦 辺 そういう意味で、<読者への挑戦>というのをどう感じますか?
有栖川 本当は不可能なんですよ、<読者への挑戦>というのは。読者の全員がわかるか、全員がわからないかというのが筋だと思うんです。それを、誰もわからないのにエラリー・クイーンだけがわかったのをこれから証明しますという話だから、本来ならあり得ない。というのが私の持論。読者の中には作者と同じかそれ以上の知力の人が山ほどいるわけですから、本当にフェアな真剣勝負をやったら作者はかなりの確率で負けるはずです。ミステリー作家って決して頭いいわけじゃないからね。インチキしないと勝ち目が薄いんです。そのインチキに気づかせないレトリックというのかな、そういうインチキのセンスが最後のプレゼンテーションの冴えになるんだけど、それがクイーンはすごくうまかったと思うんですね。ただ、渡れない橋を渡る為には、綺麗な橋が一つ二ついる。もちろんその橋をかけるのはものすごく難しいことですよ。

芦辺拓小森健太朗有栖川有栖二階堂黎人 1999 『本格ミステリーを語ろう!―海外篇』原書房 pp.172-175