還らざる時の終わりに

DAKINIさん
http://www3.azaq.net/bbs/300/dakini/

[2681] 3DCGは「アニメ」から「特撮」へ 投稿者:DAKINI 投稿日:2003/09/30(Tue) 01:31:44 No.2681 [返信]

下のスレで議論したように、PS2世代の1つのテーマであった「映画とゲーム」は一定の域まで達したといえる。
ではこれから先、リアルタイムCGはどうなっていくのか。

ここ数年のゲームの傾向で明らかに顕著なのは、「現実」を取り込んでいることだ。『GTA3』はもちろんだし、
Half-Life2』のような実写性の強い(といわれる)作品もそうだ。『Getaway』はロンドンの市街を
ゲーム内に取り込んだ。

これは前世代に比べて、テクスチャの解像度が上がったり、表示ポリゴン数が上がって空間が広がってきた
影響である。また、ユーザーに対して、抽象的な箱庭を提示するだけでは魅力を感じてもらえなくなった
ことも大きい。

ではどこまで「現実」に近づいていくのか?
完全なシミュレータ世界であろうか?
いや、そこまではいかない。
何故なら「現実」では面白くないからだ。

そこで半分「現実」で半分「嘘」の世界になる。
一言でいえば「特撮」である。
――ボクは以前、HalfLife2を評して「特撮」といった。先日掲載した過去ログにもそう書いてある。

これまでのリアルタイム3DCGは、そのクオリティを高めるために、非常に膨大な手作業を必要とした。
言ってしまえば「アニメ」に近い。モデリングもテクスチャも配置もアニメーションもすべて手付けである。
まぁパーティクルは計算が入っているが、爆発や煙のスプライトの描きこみはデザイナーの腕が発揮される
個所だし、パーティクルの挙動にしても、実際にはかなり簡易な計算で行われていて、デザイナーや
プログラマーの調整の力で、魅力あるレベルに到達している。

しかしそれでは作業的に破綻していくのは目に見えている。
――ああ……ジブリやIGのように手描きを徹底的に突き詰めていくという考えもありではある。しかし金はかかるが。

だから基本的には、「特撮」化していかざるを得ない。特撮において、セットは作り物である。そこは手作業だ。
しかし、それが壊れる様子を”手で描く”という世界ではない。爆発も同じだ。火薬をセットする。巧妙にセット
することだろう。そこに職人芸は存在し得る。それは無くならない。しかし爆発の瞬間瞬間を”手で描く”
ようなことはない。

仕掛けはするが、描きはしない。
そういう世界になっていく。
技術的なキーワードは、物理と自動生成である。
この2つによって、リアルタイムCGは「アニメ」から「特撮」へと進化する。

「アニメ」――手作業による作りこみが日本のお家芸で、今後は物理が入ってくるから、日本は通用しない?
そんなことはあり得まい。
「特撮」とて日本のお家芸ではないか。「仕掛けの作りこみ」と「計算」の融合した世界は、
「作業による作りこみ」で世界を席巻したように、再び日本が世界を席巻する、圧倒する。
ボクはその未来を露ほども疑ってはいない。

# つまり、2004年までは「アニメ」の時代、2005年(あるいは
# PS3世代といってもいいが)からは、「特撮」の時代へと突入する。
# 本格化する。

いつもながら的確な開発者ならではの視点。どうしてこういう文章がゲーム批評とかには載らないのかと。

私は技術に疎いので、こういった点はPS2登場時に期待していた。
http://www.intara.net/og/panfro.shtml

ふたつのシミュレーション、ひとつのゲーム
パンツァーフロント(PS・DC 1999/12/22)アスキー

……

自分自身も戦車を駆って3D空間ならではの現実に近い戦闘を体験する(操縦系シミュレーションゲーム)。
敵にやられづらいように自戦車や味方戦車の位置を考え、敵を倒す順番や方向を選択し、味方との連携をうまくとれるような指示を出す。(戦略系シミュレーションゲーム)。
呼び方は同じでも、本質的に異なっていた二つのシミュレーションゲームはここに統合された。
パンツァーフロントでは、ひとつの仮想空間の中で、操縦系シミュレーションゲームを行いながら、同時に戦略系シミュレーションゲームをも行うのである。

それは、戦闘空間そのものを表現できるようになったハードの進歩の賜物にほかならない。


これから、ますますビデオゲームは仮想空間を構築することが可能になるだろう。
そこは現実と同じような(あるいはその架空の空間特有の)物理法則が適用される。
つまり、いったんモデル化したものを提示してシミュレートしたことにするのではなく、空間そのものをシミュレートしてしまうのだ。
すでに、単純化する必要はなくなってきている。

もともとは「ある題材」をシミュレートしたものであるシミュレーションゲーム
それは「単純なモデル化」「操縦の忠実な模倣」というふたつの生まれ方をし、両者はまったく異なる存在となっていた。
しかし、ハードの進歩はそもそもの動機を満足させることができるようなレベルに達しかけている。
現実世界を忠実に再現できるようになるのはまだまだ先だろう。
だが、現実世界にかなり近い空間を表現できる時代に、我々はもう片足を踏み入れているのだ。
パンツァーフロントは、その先駈けのひとつであるといえよう。
……
(2000/3/3 綾茂勝太郎)

パンツァーフロントは特に物理計算に優れたゲームだったわけではないのだけれども、ゲーム的な誇張が(比較的)極めて少ないゲームだった。そしてそうした現実的な物理現象によるゲームデザインビデオゲームとして成立しうることが驚きだった。PS2が登場すれば、その物理計算能力(と複数のNPCに同時に凝った動きをさせられる演算能力)で、こうした路線が加速されるのでは……という期待があった。
誰も気づいてくれなかったが、この記事を書いた日付はまさにPS2発売前日。PS2が新しい時代の夜明けを告げる直前に書いておきたい内容だったのだ。
しかしながら、スーパーファミコンがきれいな絵が出るファミコンでしかなかったように、PS2もきれいな絵が出るPSでしかなかった、といえるかもしれない。
上で私が書いた「等身大SLG」とでもいえるものに近いのは、『真・三國無双』シリーズ程度しかない。
夜明けはいつか。

……とか書いてたらパンフロの続編が出るとか。本題とは関係ないけど。http://www2u.biglobe.ne.jp/~nanko/news.cgi?id=2003100107