歩兵の攻撃

昨日付けで、コスティキャンを引いたので、ついでに他の箇所もちょっと読んでみたのだが。

コスティキャンのゲーム論 1994
http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/library/design_j.html

例えば、Richard Bergの「キャンペーン・フォー・ノースアフリカ(北アフ
  リカ戦役)」だが、これは枢軸国の北アフリカ戦役を扱ったゲームで、並外れ
  てリアルなシミュレーションを行っている。プレーヤーは、パイロット1人1
  人をどこに配属するかといったことから、個々の大隊における飲料水の補給状
  況に至るまで、長時間かけてあらゆることを管理しなければならない。

   ところで、確かにロンメルの部下はこういったことを管理しただろうが、ロ
  ンメル自らが管理したはずはない。だとすると、全体的な戦略を考え、かつ細
  かい管理も行わなければならないプレーヤーは、いったいどちらの立場になっ
  ているのだろう。どちらに感情移入すればよいのだ。

   これが視点の混乱である。このゲームでは、個々の項目を詳細にシミュレー
  トしようとするあまり、ある意味ではかえってシミュレーションの正確さを台
  無しにしているのだ。
(FRPGM 英文翻訳プロジェクト design_j.txt制作チーム 訳)


やや、コスティキャン先生そんなこと書いてたのか。知らなかった(いや、昔読んだはずなんだけどさ)。
私は修論でやっぱりロンメルの名前を出して、ほぼ同じ話をして、しかも逆の主張をしていたのだが。奇遇。

茂内2002
http://www.sh-press.com/intara/ron/syuron/
本文75ページ

シミュレーションゲーム『アドバンスドワールドウォー千年帝国の興亡』では、ウォーシ
ミュレーションにRPG 的なPC を導入しており、
……
キャンペーンモードの場合、「プレイヤーが将軍として指揮しながら戦ってい」くとあるが、
ゲーム開始時に、プレイヤーはドイツ陸軍の指揮官であるPC の名前を命名し、顔グラフィック
を選択する。PC は、他に登場する歴史上実在したドイツ陸軍の将軍ロンメルグデーリアン
マンシュタインなどと同格の存在であり、それぞれが自らの軍団を指揮している。すなわち、
PC に自分の名前をつければ、プレイヤーが当時の将軍になり、ロンメルらとともに戦うという
疑似体験ができるということになる。プレイヤーは当然、PC が指揮する軍団にそれぞれ指示を
与えることができる。しかし、マップによっては他の将軍はNPC としてコンピュータの判断に
より軍団を自動的に動かすが、あるマップではプレイヤーはPC 以外の将軍の軍団(将軍自身も)
も動かすことができるのである。つまり、ロンメルたちの上官の立場もプレイヤーは兼ねるこ
とができ、仮にそれがPC が行っているのだとすれば、PC はロンメルらと同格であったはずな
ので、越権行為ということとなる。このように、たとえPC が1 人設定されていたとしても、プ
レイヤーはそのPC のロールプレイに専念するとは限らない。PC が行う以上のことをときに行
う場合があるのである。『アドバンスドワールドウォー千年帝国の興亡』でプレイヤーは、全
軍を指揮する司令官の立場になったり、そのうちの一軍団を指揮するPC の立場になったり、さ
らには指揮される一部隊の兵士の立場になったりする。この場合、誰がPC かという議論はあま
り意味を持たない。あえていえば、自軍の部隊を構成する将官1 人1 人がPC となりうるのであ
る。

勝手に要約すると、コスティキャン先生は「プレイヤー=ロンメルのはずなのに、実際にはロンメルがやらないことまでプレイヤーはやらなければならない。この視点の混乱はシミュレーションを台無しにしてる。誰に感情移入すればいいのかわからんのでイクナイ!」といった主張をしているのに対し(いや、シミュレーションとして的確でないという主張は正しいんだが)、
私は「プレイヤー=ロンメルと同格の将軍という設定だが、実際にはロンメルの上官になったり兵士一人一人になったりする。この視点の自由さがイイ!」的な言い方をしていて、
同じ話をほぼ同じ例を使っていてしているけど、結論が逆。

書いたときはコスティキャンのことはぜんぜん気にしてなくて、ただけっこうプレイ時間を費やして、しかも歴史上の将軍が出てくるゲームを出しただけなので、たぶん偶然。
もしかすると昔読んだコスティキャンの文章が無意識に影響を与えたのかもしれないが。


※書くときもやや気になった記憶があるのだがそのまま書いてしまった「将官」という表現だが、いま調べたら「大将・中将・少将の総称」(『広辞苑』)ということで、誤りだな。「将兵」と書くべきだった。