目的の王国
先日の会合 http://d.hatena.ne.jp/AYS/20030913 の際、伊藤氏が「シムシティーは目的がないから玩具だとコスティキャン先生が書いてたが」というような話をしていたので、見てみた。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/library/design_j.html
「ゲーム」は、玩具ではない
コンピュータ・シミュレーション・ゲーム「シムシティ」のデザイナーであ
るWill Wright によると、「シムシティ」は「ゲーム」ではなく、「玩具」な
のだそうだ。彼は、本物よりずっと輝かしい仮想的なボールを作り出したわけだ。
このボールは奇妙な動きをするので、色々と試してみることが出来る。壁に
ぶつけて反射させることも出来るし、回転させることも、投げることも、ドリ
ブルすることも出来る。
そして、望むなら、このボールで「ゲーム」をすることも出来る。サッカー
でもバスケットボールでも何でも可能だ。しかし、ボールそれ自体にはゲームの要素は含まれていない。プレーヤー間
で決められた約束事の集合体がゲームなのであり、ボールはそれを実行するた
めに使われる玩具に過ぎない。「シムシティ」もそうだ。他の似たようなコンピュータゲームと同様に「シ
ムシティ」はプレーヤーがいじくりまわせる仮想世界を作り出す。しかし本当
のゲームなら提供すべきである「目標」を与えることはしない。
ああ、もちろんプレーヤーが自分で目標を決めることは出来る。「スラム街
を一掃する」といったような。だが、「シムシティ」それ自体に勝利条件はな
く、したがって目標はない。これはソフトウェア玩具なのだ。→「玩具」もインタラクティブだが、「ゲーム」はそれに加えて
「目標」を持つ。
「シムシティ」を長く楽しむためには、自分で目標を決めて、これをゲーム
化しなければならない。その目標が可能な限り最大のメガロポリスを作ること
であれ、市民の忠誠心を最大にすることであれ、運輸業だけで成り立っている
都市を作ることであれ、とにかく目標を決めることで、「シムシティ」はゲー
ムへと変化するのである。しかしながら、それでもこのソフトはプレーヤー自身が決めた目標をサポー
トするようには出来ていない。特定の目標を念頭にデザインされたものではな
いのである。
一般に、デザイナーが想定してないやり方でソフトを使うと、しばしば非常
にイライラするはめに陥るものだということを忘れてはいけない。目標が定められていないために「シムシティ」はすぐに飽きられてしまう。
これに対し、Sid Meier とBruce Shelley の「シビライゼーション」は、明
らかにシムシティを真似してデザインされたにも関わらず、明確な目標がある
ため、プレーヤーは「シムシティ」よりずっと熱中し、ハマってしまう。
(FRPGM 英文翻訳プロジェクト design_j.txt制作チーム 訳)
コスティキャンも書いているように、『シムシティー』はプレイヤーが目標を決めることができるゲームである。たとえば極大までの人口の増加とか、好みの街並みだとか、あるいは時間の経過とか。
ということで、『シムシティー』はゲーム(またはゲーム制作者)がプレイヤーに目的(目標)を与えるゲームではない(示唆はしているが)といえるが、プレイヤーにとって目的がないゲームではない。
ライトやコスティキャンはシステムが目的を与えるものをゲームと呼び、そうではないものを玩具としたいようだが、プレイヤーが目的意識を持つという観点からすると、どちらもたいした差はないと考えられる。
ところで、「目標が定められていないために「シムシティ」はすぐに飽きられてしまう。」とあるが、そう断言するほどでもないような気がするのだが。『シヴィライゼーション』をやってないのでなんともいえないが。その都度目的意識を持てば(前回と同じでも違ってもよい)、『シムシティー』は何度でも遊べると思う。
しかしながら、プレイヤーが目的意識をもてないゲームは、プレイヤーは遊ばなくなるのではないかと思う。
あるいは、目的をもてないか、または目的達成のための手段を講じられないゲームはつまらない傾向にあるのではないか。
クソゲーによくあるのは、プレイヤーががんばっても無駄なものである。これは、目的達成のための手段を講じられない例といえる。
●まとめ
・目標がもてない→何をやっても無駄→つまらない
・目的達成のための手段を講じられない→何をやっても無駄→つまらない
ゆえに、ゲームとして成立するもの、あるいはゲームとして面白いものは
・目標をもつことができる
・目的達成のための手段を講じることができる
の双方を満たす必要があるといえる。
ような気がする。
コスティキャンがいう意思決定や資源管理などは、「目的達成のための手段を講じることができる」に含まれる。
例外を探してみる。くじの要素、たとえば目押しのできないスロットはどうか。
目的はある。「大当たり」だ。
目的達成のための手段を講じられないように見えるが、何度も挑戦するということは、目的達成のための手段を講じていることになる。
そのようなわけで、やっぱりゲームにおいて目的というのは重要な要素ではないかと1分ぐらいで考えたのだが、どうなんだろう。ツッコミ求む>諸氏および未来の自分