不可聴域

渡辺浩弐の日々是コージ中
http://spa.fusosha.co.jp/e-enter/main.html

03年9月4日
「マナーとは」
・そういえば『コール』の設定をそのまま使って劇場用の携帯電話マナーCMが作られていて、笑った。
・ところで最近、電車内でケータイマナーを叱るアナウンスが非常にかまびすしくなっている。ケータイでぺらぺら喋ってる奴はうっとうしいとは思うが、他人があれこれ言うのもどうかと思う。それを言うなら人と人が会話してる方が2倍うるさいのだ。
・そういう人達はほっといてもそのうち、いなくなると思う。今ウォークマンをして歩いてる人ってほとんど見かけないでしょ。電車の中でまで電話をしなくてはならない必要性なんてないはずだし、それはつまりかっこ悪いことだということにみんな気付くはずだ。

他人の運転する乗り物に乗っている間というのは、ある種特別な状況だ。
移動するという目的を遂行しながらも、かつ暇なのである。
だから人は寝たり、本を読んだり、ケータイでメールを打ったりする。電車の中だからこそ電話したい、ということもある。

さて、電車の中で二人以上でしゃべっている人はうるさいのか。たしかに、必要以上に大声だったり、逆にひそひそ話していると気に障る。
あるいは、本を読んだり瞑想にふけることに集中したいのに近くで話していると、その話の内容が流入してきて邪魔に感じるだろう。
しかしながら、携帯電話でしゃべっている人の方が、気に障るのではないだろうか。
なぜならば、二人以上で話をしているのを聞けば、傍から聞いている我々はその話の全貌をほぼ知ることができるが、一方、携帯電話で話している人の場合、その場にいる人の発話しか聞こえないからだ。
この差は大きい。片方の発話という、断片だけの情報はどうも収まりが悪い。通話相手の発話中、情報の空白が生じ、なんか妙な「間(ま)」ができるのも気持ち悪い。
あるいは、二人以上の会話の場合、聞いている第三者もその場を共有しているが、携帯電話の発話者は別の空間にいるのと同じであり、第三者は疎外感を覚えるのかもしれない。

結論としては、車内での携帯電話の通話が禁止なのはうるさいからではない。他人にとってなんか何話してるか気になるけど、何話したんだかよくわかんないから気持ち悪いからなのだ。私だけか?

そういえば、お笑い芸人アンジャッシュのコントに、電話している人間の片方の声しか聞こえない、というのを利用した名作がある(文字だと伝わりづらいが)。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Spotlight/3168/ANJYASSYU.htm
携帯電話で彼女とデートの約束をしている若者と、娘が誘拐されたという脅迫電話を受けた(おそらく中年サラリーマンの)男のそれぞれの無関係のはずの発話が、傍から聞いている第三者である観客にはまるで会話しているように聞こえたり、まったく違う意味で同じセリフを言っているのを聞いたりするという趣向。オチは若者の通話相手が替わってしまい、とってつけたような会話になっているところがちょっと惜しいが。
アンジャッシュのコントはシナリオが練られているものが多いので注目している。ライブに行ってみたいものだ。