し、知っているのか!?

伊藤悠氏がいいコメントを書いてくださってるのに、ログが流れていくので発掘。
http://d.hatena.ne.jp/AYS/20030809
8月9日付けのコメントから。

# uel 『「仮想のギャラリー=ライバル」という図式のゲームも探せばありそうです』
# AYS 『ライバルの話は重要ですね。マンガのライバルに関して、いろいろ考えていたこともあるので、今度あらためて考察させていただききます。』
# ityou 『ポリゴンゲーは、まだ、まだ、「見ること」「見られること」に真剣じゃないと思ったり。もっともっと真剣に相手を見るゲームが、もっともっと真剣に相手からの視線を意識するゲームが、あっていい。と思ったり。』
# ityou 『メタルギアソリッドな「発見されているか、いないか」という判定はたった2種類しか状態がなくてゲーム性が低い。』
# AYS 『ほほう。どういうのだとゲーム性が高いの?』
# AYS 『いちおう、仲間の死体を発見して周囲を警戒したり、足跡を見て追いかけてきたりとか、中間モードはなくはないけど』
# ityou 『んーと、たとえば、味方や、「弟子」の視線が重要、ってのはありじゃないかな。中立キャラの視線もあっていいし、あとそうしたギャラリーの視線にも何種類かあっていい。GPMの青ビームと赤ビームみたいなかんじだが、あれは好感度を示してるだけで、赤いビーム浴びてるからこうしよう/青いビームだからこれはできないな といったシステムじゃなかったからな。』
# ityou 『あと、相手が自分の視線に反応して、たとえば恥ずかしがって逃げてったりするとたのしげ。端的に言うと超恥ずかしがり屋の娘っ子がいて、ちょっとみつめただけで逃げてっちゃうから、目をそらしながら一緒に歩くとかすると萌え萌え。でもそれだとあからさますぎるから、トトロみたいなもののけ。さいしょは、足ぐらいまでしか見えなくて、それ以上見ようとすると逃げちゃうんだが、がんばってだんだん仲良くなってって、最後には目線をあわせられるようになる。』

私の修論で56ページの下半分ぐらいから書いたことと関連。
(PDFだしまあ誰も読まないだろうけどいちおう http://www.sh-press.com/intara/ron/syuron/
とりあえず『メタルギアソリッド』の敵がこっちをハケーンしたかどうかという話は、別の話だと思うので置いておくとして。

ああ、『ガンパレ』の目からビームはそういうことだったんですか。

スーパーマリオワールド』のテレサ(オバケ)は、マリオが向いていると恥ずかしがって顔を隠して硬直し、背を向けると追ってくるマリオのストーカーであった。単にX軸上の相対位置ととマリオの向きだけの判定だけだが。ちょっと「超恥ずかしがり屋の娘っ子」システムに近いかもしれん。

FPSなんかだと、モロに視線移動のシステムだから、有効かもしれないな。よし、明日のギャルゲーは『ハーフライフ2』のエンジンから生まれるに違いない! とか言ってみるテスト。

そういえば、『メタルギアソリッド』で、ヒロインのメリルの顔を主観視点で見つめつづけていると、メリルの顔が赤くなるってのもあったな。


ちょっと脱線気味なので話を戻すと、人というのは他人の評価を気にしながら生きているというあたりの話ですな。
いにしえの時代、評価とはすなわちハイスコアのことだった。
あるいは、ゲーセンにおけるギャラリーの反応。それは対戦格闘や『ダンスダンスレボリューション』のギャラリーあたりに引き継がれ、いまだにゲーセンの存在意義のひとつである。(オンラインFPSにも観戦モードがあったりするようになったが、観客からのフィードバックはプレイヤーにはまだほとんどない)
しかし、エロゲーで女性キャラが股を開いたり、藤崎詩織が頬を染めたり態度を軟化させるなど、人間型キャラクターの行動の表現がプレイヤーの評価を行うようになってきた。

他のキャラクターがプレイヤー(プレイヤーキャラクター)のことを誉める。「お前もなかなかやるようになったな」と直接的に言ってくるか、あるいは「プレイヤーさんってすごいんですよ」と噂するのをプレイヤーに小耳に挟ませるか。
あるいは他人が注目してきてチヤホヤしてくれるとか。人気者になるというやつだ。

少年マンガでよくあるパターンとしては、「し、知っているのか、テリーマン」というやつである。
まずライバルが味方になる。そして解説役に成り下がる。主人公が戦っている敵の強さ、敵の技のものすごさを第三者に説明する。元ライバルが言ってるんだから信憑性がある。で、それに勝っちゃう主人公はもっと強い、ということになる。QED
これも回りくどいが、ゲームに応用ができる。

ただ、異なる点もある。テリーマンがいろいろ解説をしたのは、読者にとって敵がいかに強いかとか、その技がどんなにすごいかがいまいちピンとこないので、それにお墨付きを与えるという行為である。
しかしながら、基本的にゲームは困難な課題をプレイヤーに与えた場合、プレイヤーは自らの体験でもってその課題が難しい(敵がいかに強い)かを知ることができる。そして、成功した場合、どんなに自分が難しい課題を達成したか(すごい技を成功させたか)を体験できる。
ゆえに、第三者の評価はその達成による満足感をより強いものにさせる役割を持つと考えるべきではなかろうか。