実作者と批評

夏目さんが、批評について書いている。

「うまいヘタ問題」   夏目房之介
http://www.comicpark.net/natsume030822.asp

 8月最後の週に、4夜連続(一夜は公開録画)で、例によって「BSマンガ夜話」がある。年4回とはいえ、すでに7年目。こうなると、それなりに「社会的影響力」があると考えざるをえないだろう(笑)。
……
 もうひとつ、それ自体は「よくあること」に見えながら、緻密に追いかけていくと、とんでもなく厄介な問題もある。
 いしかわじゅん氏の「発言」(と、多くの視聴者に受け取られている)から、しばしばひきおこされる「うまいかヘタか」問題である。

 いしかわ氏自身がマンガ家=作家としての自意識で発言しているので、番組の初期にはある種独特なインパクトがあり、大月隆寛氏や岡田氏によって「いしかわ番付」という枠組みを与えられ、あたかも行司(裁定者)のようにいしかわ氏を扱うネタとして、番組の「売り」のようにして成り立った。
 それが「うまいヘタ」問題である。
 出演者同士は、それをある種メディア上の「遊び」と意識しているからいいが、もちろんそれを「まとも」にとる視聴者もいるわけで、キャラ的に「辛口」イメージを引き受けるいしかわ氏は、業界一部から嫌われ者になったりもしている(少なくとも僕の見聞の限りでは)。

 よくいわれるのが「いしかわじゅんの絵を見たら、よくあんな偉そうなこといえると思う。自分で描いてみろといいたい」という(おもに作家やファンからの)感情的反発だが、これはじつはたいした問題ではない。
 描けない者が「うまいヘタ」や、それに類する判断をしてはいけない、ということになると、批評も研究も、そもそも鑑賞自体が成り立たなくなるからだ。
 絵を描けない人は絵画批評ができず、音楽を演奏できない人は音楽批評ができない。小説を書けない人が文芸批評をしてはいけないことになる。そんな社会は、ロクなもんじゃないのである。

そうなのである。だからゲームを作ったこともないような奴がゲームをけなしても何も悪くない。

ただ、いしかわじゅん氏の場合は、あくまで「マンガ家の俺から見るとこうだ」って言っている側面があり、マンガ家としての発言(たとえば後輩を先輩風吹かせて批評したりする)なので、その場合は「じゃあお前はどうなんだ」と批判されてもある程度しかたがない部分はあるのではないだろうか。
(批判されてもしかたがないといっているだけで、いしかわはこういう発言をすべきでない、という意味ではない。)

とはいえ、夏目さんは元々マンガ家で、有名マンガの模写・パロディを通してその表現批評を完成させたという経緯がある。
初期のゲーム評論で主役的な立場を演じた田尻智も、インベーダーやパックマンなどの有名ゲームを自分のパソコンで再現しようとしたところから出発しているので、同じである。
実作者の方が気づきやすい部分は多いだろうし、実作者にしか気づけない部分もあるのだろう。

実作できない私には無理な部分である。(いまのところプログラミングの勉強する気もないし)
実作者の方から、実作者にしか書けないすぐれたゲーム評論を書く人が出てきてほしいものだ。
そういえば、初期の『ゲーム批評』にはプロフィールにゲーム制作者と書いてあった人がけっこういたと思うのだが、いいことを書いていたという記憶がない。あったのかもしれないけど。

追記。tragedyさんも前にこの問題について書いていて、この夏目さんのコラムを紹介したら日記でとりあげてくださいました。
http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20030826