神は最後に宿る

個人ページによく「俺のゲーム批評」みたいなコーナーがあって、読むと「グラフィックはよい。操作性はイマイチ。8点」みたいなことが書いてあるんだけど。
こういうのを「批評」と呼んでも悪くはないとは思うんだけど、あまり読みたいとは思わない。
ただ、自己紹介の一部としてなら大いに存在意義がある。
「『セプテントリオン』大好き。特にバイオリンで説得するシーンとか、「やはり神はいたんだ!」と叫ぶ殺人鬼とかのシーンとか、プレイヤーキャラが医者で、妻が途中で死んでしまったバージョンのエンディングがイイ!」とか書いてあると、ぜひお友達になりたいと私は思うし、
私が高く評価するゲームを、同じように高く評価している人を見かけたら、その人は自分と感性が近いから、その人が私はまだやったことのないゲームを高く評価していたら、やってみたいと思うだろう。

エロゲカウントダウンの作り方
http://www.ne.jp/asahi/pero/ecd/howto.htm
情報源:http://www3.azaq.net/bbs/300/dakini/http://artifact-jp.com/

レビューを書くときに一番重要なものは何か。
それは当然、自分自身であります。

先に例として書いたバイヤーズガイド的なレビュー、ああいうのはデータであって、レビューじゃない。実際、それが読まれる時、読者はデータを見ているのであって、レビュワーを見てない。一生懸命レビューを書いたのに、これでは寂しい。注目されたいからサイトやってるっちゅうに!

データの羅列のレビューから抜け出す鍵は、レビュワーによる切り口。オレはここがスキだ!オレはこれはキライだ!という、指摘ではなく主張。「文章を通じてゲームを描く」のはガイド。「文章を通じて自分を描く」のがレビュー。評論系ならともかく、感想レビューにはとにかく本人の指向性のフィルターが要る。レビューを書くということは、「自分はどういう人間であるのか」ということを晒すことに他ならない。

私は「GΛΜΙΛΝ」では、他人が主張してなさそうで、しかも読んだ他人を納得させる文章をできれば書きたいと思う。
しかも、自分の好き嫌いはなるべく押し込めて、「指摘」のみをすることによって「主張」しようとしている。
「私」という一人称をすぐに書きたくなるのだが、なるべく使わないようにしている。

だから、といっていいのか、いいネタがないとこの形式では文章は書けない。
『超クソゲー』みたいな芸風なら、どんなたぶんゲームでも書ける。難しいところだ。

そして、レビューを書くにあたって、次に重要なこと。
それは、ゲームの本質を見極めること。

ゲームをやり終えて、パっと浮かぶ印象でもいいし、オープニングのある場面でもいい。何か一つ、「このゲームは●●だ!」というものを見つけることが肝要。レビューというものは、一つの読み物になっているのが理想。となると、何か一つ、レビューを読み進む上での大きな手がかりは絶対必要になる。

ここで重要なのは、その「本質」が全くの見当違いであってもいいってこと。それが「本質だ!」と言い切れるだけの自信と熱意があれば、それで十分。

「見当違いであってもいい」なんて言い切れないが、こういう「一事が万事」的な強引な言い方は私がよく使うところである。
実際はそうでもなかったりするんだけど、文章としての説得力を持たせる上では必要なことだ。

クッパはなぜ溶岩の海に落ちて行くのか」
http://www.intara.net/og/smb.shtml
で私が言いたかったことは、実は

スーパーマリオブラザーズ』というのは、究極的には「右に進む」だけのゲームなのだ。

という一文なのだ。(こういうシンプルなゲームデザイン手法は大切だという話)

だが、

ゲーム中、土管から地下や海に潜ったり、雲の上に行ったりなど、マリオは上下にも移動するが、出口は常に右にある。
正しいルートを通らねば抜けられない迷路もあるが、選ぶ道は上下であり、常に進む方向は右である。

つまり、『スーパーマリオブラザーズ』というのは、究極的には「右に進む」だけのゲームなのだ。

だけだと、いまいちインパクトがない。
( ´_ゝ`)フーン で終わってしまうのだ。
で、いっしょうけんめい考えて、

右に進むことによって進行するゲームである『スーパーマリオブラザーズ』は、頑ななまでにそのルールを遵守した。
そう、ゲームを終える方法さえも、潔く「右に進む」ことにしたのだ。
だからクッパは溶岩の海にかかるつり橋の上にいなければならないし、一番右にはその橋を落とすための斧がなければならないのである。
すべては一番右に進んだマリオがゲームを終えることができるように。

というネタを探し出してきて指摘するのである。そうでないとオチにならない。これでやっと「70へぇ」ぐらいになりそうな感じ。
(「ポートピア」の最後のコマンドもそうだけど、ゲームの最後とか最初とかの要所にはネタが潜んでいる可能性がけっこう高い)

というわけで、こういうのはしんどいので、この日記はオチとか伏線とかを考えないで、今日もダラダラと書いているわけである。