14歳以下の哲学

米光さん
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2003/0727 がんばれ、思考停止ちゃん!
はい、みなさん、思考停止というのは、あんまりしつづけるとバカになるので、ほどほどにしなくちゃダメです。
思考停止しているかどうかを知るためには、自分が書いた文章を読みなおしてみるといいですよ。
たとえば、「ではないか」をたくさん使ってないか、チェックしてみましょう。

ええと、『週刊新潮』7月31日号、『死に方上手』連載13「殺す子どもたち」を書いた池田晶子さん、あなた「ではないか」を6回も使ってますよ。1ページのコラムに、6回も使っちゃうのは、多すぎですね。
長崎幼児殺害事件について書いているんですが、“人がすぐに人を殺すことが増えたのではないか。”(1回目)と、いきなり逃げ腰ではじめちゃいました。
心の闇が“彼らには欠落しているのではないか。”(2回目)、“彼らの心には「闇」がないことの方が、問題なのではないか。”(3回目)、“この子らは罪悪感という感情すら知らないのではないか”(4回目)とたたみかけるように使ってます。
そうした思考停止の果てに、たどりつくのは、思考停止ちゃんの定番、“やはり、映画やゲームの影響が大きいはずだ。”じゃぁ、芸がなさすぎです。
根拠をしめそうとしても、“映画ではこんなふうにしていたなと、真似して埋めただけではないか。”(5回目)と、自信なさ爆発、ただの当てずっぽうでは説得力が出ませんし、しまいには、“他人を殺したところで、死の何であるかがわかるわけがない。死の何であるかを知りたいのなら、自分が死んでみるべきではないか。”(6回目)なんてバカバカしいことを書いちゃいます。
この理論が成り立つなら、「人を殺すということが何であるかを知りたいのなら、人を殺してみるべきではないか」だって成り立っちゃいますからね、恐いですよー。いいですか、みなさん、死が何であるかを知りたいと思っても、死んじゃダメですよー。殺すのもダメです。調べたり、推論したり、感情移入したりすることでも知ることはできるんですよ。
さて、思考停止を連発すると、書いてることもデタラメになっちゃいます。
“殺人ゲームを取り締まるべきであろう。ゲーム産業は経済の柱でもある。しかし、IT革命をとるのか、心の教育をとるのか、政府は覚悟を決めるべきであろう。”
いいですかー、殺人ゲームは、IT革命じゃないですよー。あと、勝手な二者択一を迫るのも、思考停止ちゃんの特徴ですね。「テロを認めるのか、戦争をするか、だ」なんて思考停止しちゃって、たいへんなこと仕出かした国もあるから、要注意です。
あと、池田さん!
“もしどうしてもゲーム産業を捨てたくないのであれば、恋愛ゲームでも作ればよい。少子化対策にもなる。”
恋愛ゲームしても、子どもはできませんよー。池田さんは奥手なので、どうすれば子どもができるかまだ知らないみたいですね。えーと、後で、だれか、性教育してあげてくださーい。ヒロキくんは、池田さんにエロゲー2、3本貸してあげなさーい。
締めの言葉も、ちょっと凄いですね。
“我々は全体で変わらなければならない”
へんな新興宗教つくったりしないでくださいね、先生からのお願いです。
じゃぁ、池田さん、“ではないか”を使うのは2回までにして、書き直してきてください。
宿題ですよ!

池田晶子『14歳からの哲学』amzニュースステーションに登場したりして、売れてるそうです。

これは素晴らしくまっとうな指摘です。該当部を全文引用するのは気が引けたのですが、省略する部分がないぐらい。
著者の池田さん、哲学畑ではどういう評価なんでしょうか? 井上さんご存じかな?
「〜ではないか。」。『ゲーム脳の恐怖』もこういう書き方なんですよね。
確信をもってるけど根拠はない、という場合と、本当に自信がない場合がありますが、今回は前者なのかな。教育評論家はそうですが。
科学的根拠がないので断定口調で書きづらい、というのはしょうがない部分もありますが、論理が隙だらけというのはどうにかした方がいいでしょうね。