現実のスポーツとビデオゲーム、その違反行為に関して

最近、ビデオゲームのルールに関してちょこちょこと考えている。
そこで、スポーツのルールに関する本を探してみたりするのだが、なかなかよいものがない。
そもそも、ルールに関する考察本というと、『スポーツルール学への序章』(大修館書店、1995)など、中村敏雄の書いたものぐらいしか見当たらない。(他に1冊だけ、中村への反論本があったが)
いかにスポーツのルールが、スポーツを面白くするために変化していったのか、という話を一番読みたかったのだが、そういう話はほとんどなくて、昔の今とは違うルールを示し、それは当時の社会背景を反映したものである、という話がほとんどだ。やはり、「○○を通じて社会を見る」とかいうテーマじゃないと評価されないとか、学問として存在する意味がないということにされてるんだろうか。残念。

で、現実のスポーツと、ビデオゲームはどちらも、一般に、プレイヤーが存在し、ルールがあり、目的が提示され、プレイが判定されるものだ。だが、いろいろと異なることがある。たとえば、
ビデオゲームではコンピュータが対戦プレイヤーと審判を兼ねる。
それどころか、コンピュータが世界の法則をも支配する。
ゆえに、現実では誤審があるが、ビデオゲームでは基本的に誤審はない。

というわけで、16日付のuelさんのコメントに繋がるのだが。

# uel 『PKはシステム上許されている行為なので罰金などはないでしょう。現状のネットゲームにおける犯罪は、他人のアカウントへの不正アクセスリアルマネートレードにおける詐欺行為ぐらいだと思います。』

現実のスポーツやボードゲームでは、プレイヤーは世界の法則で許されるならば、どんな行為でも行うことができる。
しかし、それがルール違反行為になったり、あるいは違反でなくとも社会的に望ましくないとされるために自粛を求められたりする。
ビデオゲームでは、現実世界では別の、世界の法則とルールと判定は「システム」に統合され、不可分なので、基本的にシステムで許される行為はすべて反則ではないし、やったとしてもゲームの支配下にある他のキャラクターにはまず咎められることはない。相手プレイヤーが存在しなく、社会とよべるものがないため、社会的に望ましくないというシチュエーションは意味を持たない。
しかしながら、マルチプレイヤーゲームの場合、プレイヤーとプレイヤーはビデオゲームでのみ接続されているのではなく、現実世界においても接続されているので、たとえシステムが許容しても、社会的に望ましくないとされる行為は自粛が求められる。
さらにいえば、シングルプレイヤーゲームにおいても、そこにプレイヤーが現実世界の価値基準を持ち込むのであれば、それは影響力をもつ。

※この日記は思いつくままに書いていて、推敲も基本的にはしないので、論理が変かもしれません。その際はぜひご指摘を。