伝説の時空へ

20:00 『ビートたけしの!こんなはずでは!!』(テレビ朝日
「原爆開発が生んだ!?TVゲーム」というコーナーが。先週の予告を偶然見ていたので、録画してみた。
予想通り、世界で最初にビデオゲームと呼べうるものを作ったとされるウィリアム・ヒギンボーサムについての再現VTR。
マンハッタン計画に参加したことへの悔恨から、人を楽しませるものを、ということで作った、という美談にするんだろうと予想してたら、やはりそうなっていた。
ただ、考証は全体的に正しい感じで好感が持てた。(桝山寛氏がインタビューに出ていたが、関係があるのかも)
特許をとっていたら大金持ちだったのに、という話もあったが、公務員なので、権利はアメリカ政府のものになってたような。

ヒギンボーサムが作った『Tennis for Two』(1958)は、オシロスコープをディスプレイに用いたテニスゲーム。

実質的な初の業務用ビデオゲームである『Pong』(Atari、1972)(日本では当時、「テニスゲーム」と呼ばれた、テニスあるいは卓球をモチーフとしたゲーム)は、よくこの『Tennis for Two』の影響だと言われる。
だが、当時は『Tennis for Two』は周知のものではなかったと思われるし、そもそも(画面写真は残っていないようだが)記述によれば『Tennis for Two』はサイドビューだと思われ重力の計算をしていたし、垂直に立つネットがあったようだ。
対して、『Pong』はトップビューで、障害物はないので、直接的にはあんまり関係ないんじゃないかと思われる。

番組での再現VTRもサイドビューだった。
あと気になったのが、子どもたちがコードでつながれたコントロールパッドを持っていた点。つまり、現在のコントローラと同じ。
私はカセットビジョンみたいな固定式のコントローラを想像していたので、ちょっと意外だった。改めて資料を調べてみると、たしかに

Each player had a small box, which he held in one hand. On the box wre a knob to aim at the ball(up, down or level)and a push button.
(Rusel DeMaria & Johnny L. Wilson『HIGH SCORE! The Illustrated History of Electronic Games』Mc Graw Hill Osborne 2002 p.11)

というヒギンボーサム自身の記述があったので、やっぱりそうなんだろう。いまでも45年前と同じスタイルでゲームをしているとはちょっと驚き。

改めて検索したら、米の公の機関のページで再現VTR(番組のとは別)を載せてるページが。興味深い。
http://www.osti.gov/accomplishments/videogame.html
上述のヒギンボーサムの文でも、「The racquet was not shown and the strike belocity was pre-set.」という記述があったので、ラケットは表示できなかった模様。
勝敗はどうしてたんだろうか。

それにしても、excite翻訳の精度、上がってる気がする。
http://www.excite.co.jp/world/url/body/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.osti.gov%2Faccomplishments%2Fvideogame.html&wb_lp=ENJA&wb_dis=2&wb_co=excitejapan

                • -

この番組のその後のコーナーでは、タレントゲーム特集として、『たけしの挑戦状』の「1時間日光にさらす」とかを紹介していただけでなく、
磯野貴理子が出演しているのでちゃんと『チャイルズエスト』を持ってくるあたり、マニアックだなあ。