絵画芸術

私が美術館通いをするようになったのは二つ理由がある。

ひとつは昨年11月、ぐるっとパスという共通券の存在を知ったこと。ちょうどフリーターで平日が暇だったので、使えば使うほど得になる(交通費はかかるが)この券で、興味がある美術館・博物館になるべく行くようにしたら、なんかこのまま全部行けそうな気がしたので(スタンプラリーの存在も、コンプ欲をそそった)、なんと1ヶ月で33施設全部行ってしまったのだった。(1日に3箇所ぐらい回ったりして)

もうひとつの理由は、もう少し遡る。ビデオゲームの表現論に関して考えるためのヒントとして、絵画芸術についても多少は理解をもちたかった。だが、高校や大学では鑑賞に関する講義はとれず、鑑賞の仕方がわからなかった。
よく、「素直に感動すればいいんだ」とか「鑑賞の仕方に方法なんかない。人それぞれが感じたままに感じればいい」とか言うけど、そんなのわからんよ。
素人なので、写実的な絵だと上手いような気がするし、なんか意味ありげな抽象画だとなんかすごいのかなぁ? と思う程度である。
そんなときに出会ったのが、一冊の本だった。

西岡文彦『絵画の読み方』(別冊宝島EX)。
この本は、理屈で絵を読み解く方法を教えてくれた。それはたとえば書物が描かれている→学問を表す、みたいなある種のお約束、西洋絵画の言語であり、遠近法であり、人物の顔の向きの意味と効果であり、筆致の違いである。
  感性で鑑賞できない私だが、絵の前にいてもいいんだ。
芸術的なセンスがない私でも、絵を観察すればいろいろ見えてきて面白くなった。

ポケモン』の作者田尻智は著書『新ゲームデザイン』(エニックス)の冒頭で、

高校の美術の時、副読本としてもらった本がありまして、それが「名画を見る目」(岩波新書)です。
このときの副読本体験が、僕にとって、ものの本質を知ることの面白さに、気づかせてくれたのです。

(抜粋)という話をしている。私はその本は未読だが、たぶん同じような内容だったのではないかと推測する。
田尻はその本との出会いをきっかけに、ゲームを分析的に見る見方が生まれたという。私は逆に、元々ゲームを分析的に見る癖がついていて*1、その後に絵画をそうして見る方法があるのだとわかったのだが。

もちろん、そういう見方が「ものの本質を知ること」といえるかどうかはわからない。本質を見極めること、真理のかけらでも手にするという行為は、並大抵のことではない。
ただでさえ、本質や真理は作者の思惑を超えたところに存在してしまいがちなのに。

話が脱線したが、『絵画の読み方』で、一番最初に例に挙げられ、具体的な鑑賞法(注目ポイント)が紹介されていたのがこの、今回の展覧会の目玉作品、フェルメール『画家のアトリエ 絵画芸術の寓意』なのであった。ちなみにアジア初公開とのこと。
正直、実物を見て感動したというほどではない。目玉だけあって、他の絵よりもちょっと離れたところからしか見れないので、あまりディテールを観察することはできない*2(双眼鏡とか持っていくことをオススメします)。正直、この前のレンブラント展の方が個人的には印象が強かった。
ただ、そうした鑑賞アレルギーを払拭するきっかけとなった名画と、平日最後の美術館探訪になるかもしれないこの日に出会えたことは、なんとなく意味があることのような気がして、なんだかうれしかった。

寓意画は、さすがに意味ありげでインスピレーションを与えてくれるので理屈派の私はけっこう好きだ。
せっかくの機会なので、普段はあまり買わない図録はもちろん、普段は絶対買わないポスターとか、3000円(安っ!)の額入りの小さな複製画(というかただの印刷だが)とかまで買ってしまった。
展示点数も多すぎず、少なすぎずという感じ。もうちょっと多くてもいいかな? 日本では知名度がぜんぜんないと思われる画家の絵も面白いのがあった。

*1:子どもの頃、ゲーム雑誌で田尻の著述を読んだ影響もあるだろう

*2:壁に掛けられている古地図の細かいとこを見たかったのになあ