思想・良心の自由

日頃割と悩むところなのが、知人が何かの信者な場合である。
通例そのことについて触れないことが望ましい。それがその人とのよい関係性を維持する唯一の方法である。
無理やり新聞を取らされるとか、そういう直接的被害を誰かが被らないかぎり、誰が何を信じていようと特に文句を言う筋合いではない。

ただ、普段論理的で理知的な人が、信者バイアスかかりまくりな発言を(おそらく自分では論理的発言だと思って)公言しているのをみるとどう対処すべきか悩む。
やはり口をつぐんでいるべきなのだろうか。
たとえばid:tragedy:20040319さんは小林よしのり信者度が高いためか、以下のような発言をしてしまう。
なお、信条とは関係なく、単に論理的か否かを問題としたい。

■ [メモ]反日君対処のガイドライン 23:57
 1. 日本という国が嫌いなので歌いません!
→んじゃ日本から出てってね。日本語しか喋れず、日本という共同体の一員である家族や友人を捨てる覚悟もなく、おまけに海外や無人島で食っていけるだけの生活力もない=「日本に依存している」癖に程度の低い妄言をわめかないように。

この場合の「日本という国が嫌い」にはいろいろあるだろうが、日本国政府が嫌いという場合もあるだろう。
日本政府が嫌いでも、日本の文化や風土、生活習慣などが好きということは十分ありうる。その辺を混同している。
日本に生まれたのはその人の責任ではない。政府が嫌いだからといって、生命の危険でもないかぎり他国に亡命するというのは常識的に考えてありえない。
この論理構造だと、北朝鮮に生まれたら将軍様マンセーでなければならず、少し前までのイラクに生まれたらフセイン万歳でなければ国外退去しなければならないということになる。

 4. 君が代天皇賛美の曲なので歌いたくない。
天皇賛美の曲ではなく、「天皇が納める代」=日本賛美の曲です。「天皇が納める」に反発するひとは、日本国憲法第1条、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」辺りを民主的に変更してからどうぞ。歌詞全体をとっても、フランスの『ラ・マルセイエーズ』が「武器を取れ、市民たちよ、そして軍を組織せよ!」と歌っているのに対し、「千代に八千代に(いつまでも)君が代(=天皇の納める日本)が平和でありますように。苔の生えるまで」という極めて平和的な内容です。

君が代」は「天皇の代」という意味であるから「日本賛美」ではなくて「天皇のものであるところの日本賛美」ということになる。
日本国憲法では天皇は主権者ではなくて象徴なのだから、「天皇のものであるところの日本」というニュアンスは憲法と一致するとはいえない。
前述のように、日本という概念は一枚岩ではない。日本という概念を「天皇が治めている国」(「納めて」ではない)と定義する人がいるかもしれないが、「天皇は嫌いだが日本の風土や文化は好き」という人がいてもおかしくはない。

 6. 軍国主義侵略戦争に繋がるので。
→国歌を持っている世界180ヶ国以上の国は全部軍国主義なんですか?

戦前・戦中と日の丸・君が代の下に戦争したり、侵略したりしたことがあるので、軍国主義の日本を連想してしまう人々(特にある世代)がいる。ドイツでハーケンクロイツが忌避されるのと同じ。
日本の歴史を無視して普遍化した問題にすりかえている。

 7. かつての侵略戦争の思い出を喚起し、アジアの人が嫌がるから。
→君の言うアジアってのは中国と韓国だけですね。バングラディッシュの国旗みたことある? 中韓は、アメリカが戦争をしないとまとまらないように、反日思想を持たないとまとまらない国ですので、気にしなくていいです。南京大虐殺従軍慰安婦の国による強制連行は戦後捏造された出鱈目であり、朝鮮は日韓併合により富国化したという経緯がありますので、ご参考までに。

南京大虐殺従軍慰安婦の国による強制連行は戦後捏造された出鱈目」とあるが、誇張されている=なかったこと になるのだろうか。
たとえば朝鮮半島に住んでいた人を日本に強制的に連れてきて働かせたとかも「戦後捏造された出鱈目」ということになるのだろうか。
「朝鮮は日韓併合により富国化したという経緯があります」というと(これが事実だとするなら)、結果オーライという考え方である。ということは、「日本はアメリカの占領により富国化したという経緯がある」ということで、たとえば大戦中のアメリカによる無差別爆撃(国際法違反)とか、広島・長崎の原爆投下とかも当然、全然オッケーと考えるのだろう。

 8. 何で儀式で君が代を歌わなきゃいけないの?
→日本の学校を卒業し、学校とその背景にある国家に敬意を表し、襟を正すためです。教会で賛美歌を歌うのと一緒です。嫌なら式典には参加せずに謝恩会だけ出ればいいだけの話です。

これまでの論調は「国家に敬意を払うのは当然」という感じだったのに、「嫌なら式典には参加せずに謝恩会だけ出ればいい」と、国歌に敬意を払わずに日本で生活することを肯定しており、姿勢が一貫していない。
では、学校に敬意を表して、国家には特に敬意を表したくない場合はどうすればいいのか。
また、君が代を歌うことが国歌に敬意を表する唯一の方法なのか。君が代を歌わないと即国歌に対する不敬度100%ということになるのか。

最後に繰り返すが、信条とは関係なく、単に論理的か否かを問題としたつもりである。