誰が為に

この日記だが、パブリックモードに移行したので、いろいろ気になってゐる。
そもそも、平凡な日常を送る我々の日常を全世界に発信してどうするのか、という問題。
たとえば映画の感想を書くときに、「○○時に行ったら満席だったので××で時間を潰す」とか「○○に行ったら休みだったので失敗した」とか私はよく書くわけだが、そんな情報は正直読者にとってはいらねえ場合が多い。
まぁ同じ映画を(あるいは同じ映画館に)見に行こうと思っている人は多少参考になったりするかもしれないし、失敗談なら読者の人が同じ失敗をしなくてすむようになる場合もあるかも知れぬ。しかしたいした問題ではない。
これが有名人の日記なら、ファンの人は有名人がどういう生活をしているのか知りたいのでよいのだが。

以前、大半の“ゲーム批評”記事(映画でも小説でもなんでもそうだが)を載せてるページは、批評とか評論というレベルではなく、単なる感想であり、自己紹介の延長でしかない、という話を書いた。http://d.hatena.ne.jp/AYS/20030810
それはつまり、「激しく同意」と言ってくれる人を探すのが目的であり、イヤな言い方をすれば馴れ合いができる相手を求めてのことである。
それはそれでよい。コミュニケーションというのは多くの場合そうしたものだし、そうした馴れ合い空間での議論から何か新しいアイデアが生まれることもあるだろう。はてなダイアリーキーワードは、googleのような検索サイトの変形であり、基本的には同じ話題を取り上げている“仲間”を見つけるためのものだろう。それはそれでよい。(その日見た作品の名前を列挙しているだけで、一言感想すらない日記などもあって、そういうのが今後増えるとそうした目的は破綻するかもしれないが。それでも他にどういう作品を鑑賞しているというデータにはなるにしても)

私もこの日記は基本的に気を抜いて自動筆記的に記述していて、構成を考えたり推敲したりということはほとんどないので、どうでもいい感想や日常の記述が多い。
私がつまんないと承知しつつそれを書いているのは、基本的に自分に対するメモとしてなのである。後日読むと何かを思い出して新しい思考を生むかもしれないから。この辺もパブリックにするのをためらった理由のひとつ。
2ちゃんねるは考える前に瞬間的に思ったことを書き込みをするメディアだが、どうやら私にとってはてなダイアリーは考えたことをそのままアウトプットするメモ帳と位置づけているようだ。そして他人からコメントをもらい、そこからさらに連想を重ねていく。以前は自分のサイトの掲示板をそれに使っていたが。

ブログはよくニュースの紹介とそれについての感想を短く述べていることが多い。これも世事に疎くなりづらくなるという点では便利だし、その話題について話が合いそうな人とちょっとだけ語るのは楽しいので、他人がそれをやっているのは歓迎。だが私はそこまで精力的にニュースを集めようというやる気も必然性もないし、感想も「カルロス・ゴーンはポルシェに乗っているのかよ!」とか100人中100人がツッコむようなことしかとりあえず出てこないことが多い。(時が経ってログが流れていなければ、「ポルシェ」をクリックすると、みな同じことを書いているのを発見するだろう)

上でリンクさせていただいているDAKINIさんhttp://amanoudume.s41.xrea.com/のように、雑誌『ゲーム批評』の記事よりレベルの高い論考をさらっと書いてしまうとか、3o game lab.さんhttp://web.sfc.keio.ac.jp/~t02544ks/3o/のように、ゲーム研究関係のニュースには目を光らせておいて余さず載せてしまうとか。
あるいはScoobies(とみさわ昭仁)さんhttp://homepage3.nifty.com/scoobies/index.htmlのように、ニュースをただ収集してコメントするだけでなく、選択のセンスが素晴らしすぎるとか、@JOJOさんhttp://park8.wakwak.com/~hello-w/jojo/のように『ジョジョの奇妙な冒険』という作品を基礎教養として持っている場合のみ大いに楽しめるニュースを収集して面白く紹介するとか。
そういうレベルまでできれば、日々更新のサイトとしてはものすごいのだが、そこまでとてもやれない。

私がウェブでやっていることで一番読者に役立つ(面白いと思ってもらえるとかいう)のは、たぶん「GΛΜΙΛΝ」http://www.intara.net/og/で書いているようなことだと思う。しばしば蛇足なところまで語ってしまうが、割と推敲している。こちらは、やっつけ仕事で中途半端な日記とかと違って、どちらかというと「完成させて納品する」感が強い。
逆に言うと、ある水準のものを最初にあげてしまって好評だったので、「GΛΜΙΛΝ」には中途半端なネタは載せられなくなってしまった。
通常、ゲーム評論は先に取り上げるゲームを決めて、次に何を書くか決めていく場合が多いものと想像する。私もそうする場合もたまにあるが、どちらかというと逆の場合が多い。多くのゲームに共通する普遍的な(に近い)ネタを思いついてストックしておいて、それを上手く説明できるゲームを探す。
そうした小ネタはたくさんストックがあったのだが(前のパソコンが逝ったときに消失。脳内からまた出てくるのを待たねばならない。バックアップはとりましょう)、うまくオチがつくゲームを見つけられないと書けないのだ。
ここの日記でも毎日そういうのを書くのを読者は期待しているような気がするのだが、そんなわけで無理。ただ、他人にアイデアを話してリアクションしてもらうと(つまり外部からの刺激を受けると)思考は発展するので、中途半端だが随時アウトプットする場としてこの場をつかってみているわけなのである。
というわけで、とりあえず何らかのコメントが欲しいところなのだ。

で、こういう話も読者にはどうでもよくて、ここまで全部読んだ人は徒労感を味わっていたりするんだろうなあ、とか考えると気が滅入る。スマンカッタ。