眠れる奴隷

はてなおとなりページ機能で発見したホコタテブログさん。http://hokotate.cocolog-nifty.com/blog/
「Jan 30, 2004 ティアリングサーガ裁判はどうなった?」という記事があったので、久々に「ティアリングサーガ」裁判情報のページhttp://kyoto.cool.ne.jp/tssaiban/を見てみる。
みなさん信じられないと思いますが、今を去ること9年前には『ファイアーエムブレム』を専門に扱ったページが世界に1つもなかったのです(『ドラクエ』や『FF』のページはけっこうあったのに)。そこで、私は当時FE専用ポータルページを作ってネットでの『FE』普及に努めたことがあるのです(ちなみに私はお話つきSLGとして好きだったんですが、やっぱり同人路線のページがほとんどになりましたね)。そのような関係もあって、この裁判については割と言及を避けてきて、あまり積極的に情報収集もしてこなかったのですが。
知らない方のために解説すると、加賀昭三という人が任天堂の下請け会社で『ファイアーエムブレム』というシリーズのゲームを作っていたのですが、退社してエンターブレインから『ティアリングサーガ』という続編のようなゲームを発売。そのことに対して、任天堂エンターブレイン(eb)を訴えた、というような話です。詳しくは上記裁判情報のページを読んでください。

うわ、すごく面白い。こんな展開になっていたとは。

裁判レポート・控訴審第5回(掲載:2003年12月27日)
http://kyoto.cool.ne.jp/tssaiban/report/s05-031209.html

裁判官「それでは、今回は被控訴人側が作成したDVDを基に検証を実施しますが、控訴人側から何か準備書面に付け加えることはございますか」
任天堂代理人(以下「任天堂」)「はい。前回、我々は検証を通じて『個々の要素の創造性』も『全体の配列――ユニットを移動させて、コマンドで “跳ね橋の鍵”を選択して跳ね橋を降ろす――と言う組み合わせ』も我々の著作物であると言うことを立証した訳ですが、例えば著名な文学作品の一文として『トンネルを抜けると、そこは雪国だった』と言うものがあります。この文章の場合『トンネル(起点)』『抜ける(行動)』『雪国(終点)』の3要素が『トンネル→抜ける→雪国』の順に配列されている、この配列こそがこの文章を川端康成の著作物たらしめているものと言えるのです
裁判官「はぁ
eb側代理人(以下「eb」)「それでは、検証に入らせていただきますが今回、我々は控訴人側のように個々のパーツをピックアップして『盗作だ』『いや違う』と言う水掛け論がゲームと言うものの本質を見失わせることには大いに問題があると考え、収録に際して『実際にゲームをプレイしている流れ』を重視しています
裁判官「そうですか。それでは始めてください」

はい、みなさん、すっかり『逆転裁判』のサイバンチョと、その他愉快なキャラクターが頭に浮かんでいますね? 浮かんでない方は公式サイトの体験版http://www.capcom.co.jp/saiban2/をやるように。
それにしても、たぶんゲームなんかやらないサイバンチョにもわかるように、いろいろ必死に考えて準備してきたと思われる『雪国』の例があっさりスルーされているのがなんとも。ま、例も例だが。

eb「我々が今回の検証を通じて言いたいのは、ゲームと言うものは(プログラム・シナリオ・映像・音楽・インターフェースと言った要素の集合体と言う側面を持つ)複合著作物であって、控訴人側のように個々の要素を切り出して『似てる』『似てない』と言ってもしょうがない、と言うことです」

 検証開始。TSの第1章開始から第2章終了までを省略せずそのまま流す。途中で斧戦士・バーツが登場するとどこからか失笑が漏れる。

eb「ゲームはプレイヤーの思考によってほぼ無限大のパターンで組み立てられるものであり、控訴人が言うような個々の部分をあげつらって『似てる』『似てない』と言うのはゲームの本質を正しく理解していないものと言わざるを得ません。特に、ストーリー部分に関してはTSとFEは全く別物であると言うことは、声を大にして言いたい。『踊り子に再行動させる』のも『村に立ち寄ってアイテムをもらう』のも『闘技場で賞金を稼ぐ』のもプレイヤーの自由意志に委ねられている、それがゲームと言うものの本質なのです
裁判官「つまり、ストーリー部分が個々のゲームに取って肝要であると言いたい訳ですか
eb「そう言うことです――ゲームの根幹を為すのはストーリーだ!
ストーリーが無いのはゲームじゃないんだ!

  (eb側の余りの極論ぶりに、審尋室内が一瞬、凍り付く)

スゲー! 『逆転裁判』のノリはフィクションではなかったのか! とりあえず、『逆転裁判』的な発言を太字、ゲーム言説史において後で引用できそうな発言を斜体にして抜粋させていただいています。

裁判官「被控訴人側の主張については了解しました。それで、改めて控訴人側に確認しますが『個々の要素』が似ているのが問題なのか、それとも『全体の配列』が似ていることが問題なのか。もしくは、その両方について『個々の要素』が似ていることにより『全体の配列』にそれがフィードバックしている、と言うことでよろしいですか」

任天堂えぇ、ですから先ほども申し上げた通り『トンネルを抜けると、そこは雪国だった』と言う一文を例に挙げた場合……(発言を遮られる)
eb「そう何度も繰り返さないでくださいませんか
裁判官「……雪国の例えはもういいです。でしたら、次回までに控訴人が被控訴人を言い負かせる自信があると言う『剽窃』ないし『パクリ』の実例を10でも100でも挙げてください。

それで、次回ですが双方に行っていただいた検証を総括すると言う意味合いもありますので実際に両方のゲームをやってみようと思います。それぞれ、ハードとソフトをこの審尋室へ持参していただいて――控訴人側は、5作ある訳ですが『トラキア』だけで構いませんかね」
任天堂「はい」
裁判官「それでは次回は来年の1月27日に、時刻は15時から。場所は今回と同じこの審尋室で。それでは、本日はこれで閉廷」

すごいっ。現在ブログで概要が掲載されているhttp://blog.melma.com/00089025/20040127013743次回の再現レポートも楽しみです。


法律に関しては全然わからないので、以下、恥を覚悟で完全ド素人の感想を。
任天堂が『ティアリングサーガ』を訴えるのはまあ、わかる。営利を目的とした企業だから。
ただ、問題は初代『ファイアーエムブレム』のゲームデザインとシナリオが、実質的に加賀昭三というゲーム開発者一人によって行われた(開発に直接的に携わったのも片手の指で数えられるぐらいの人数だったと聞いた気がする)という(半ば公知の)事実である。
加賀氏は『FE』のSFC最終作『トラキア776』を作り、発売直前に開発会社インテリジェントシステムズを退社、独立して開発会社ティルナノーグを設立し、アスキー(発売時にはエンターブレイン)のもとで『ティアリングサーガ』(発売直前まで告知されていたタイトルは『エムブレムサーガ』)を開発・発売した。
「エンブレム」を「エムブレム」と表記するのも、加賀氏本人の発案であったようだ(まさかそれが後に自身の首を絞めるとはなあ)。
たしかに、『TS』は『FE』そのまんまな部分が多いようだ。(実は私は体験版しかやったことないのだが)
しかし、ゲームデザインという行為を芸術的創作とみなすなら、それは加賀氏の「作風」と呼ぶことができる、と私は思う。
たとえばある映画会社と専属契約を結んでいた映画監督が契約終了に伴い他の映画会社に移籍し、同じ作風で映画を撮ってはいけないなどというつもりなのだろうか。
キャプテン翼』の作者は、いつまでたっても『キャプテン翼』のような作品しか描けない(ように見える)。もし彼から『キャプテン翼』の作風を奪ったら、それは彼にマンガ家を辞めろと強制しているのに等しい(かもしれない)。
もし同じ「作風」で作品を作ることを禁じられてしまったら、それは作家の表現の自由を奪うことにほかならない。仮に加賀氏が『FE』的な作風しか持たない作家だった場合、それは氏にゲーム制作者としては「死ね」と言っているのに等しいことになるのだ。そのようなことが許されてよいのだろうか。
裁判の流れの都合か、判例などの都合なのかはわからないが、エンターブレイン側は「こんなシステム・ストーリーのゲームならどこにでもあるありふれたものだ」といった主張に終始してしまっている。
たしかに現在の現象だけ見ればそうかもしれない。だがゲーム史的には、必ずしもそうではない。
加賀昭三という人間が(過去のゲームを参考にしつつも)“発明”したのがシミュレーションRPGというシステムである。それを変奏しつづけているのが『FE』シリーズにほかならず、後のシミュレーションRPGはみなその直接間接の影響下にあるのだ(たとえば『鬼武者タクティクス』などは『FE』→『タクティクスオウガ』または『FFタクティクス』→『鬼武者T』という間接的影響下にあるといえそうだ)。
初代『FE』はSLGのシステムに、RPG的なシステムやストーリーを融合させたという点で十分オリジナリティにあふれた作品であった。その加賀氏の「作風」が、後の多くのゲームに影響を与えただけなのだ。
それにもかかわらず、今回の裁判では加賀氏による“発明”と表現の自由については語られていない。
(法律についてはわからないのでたぶん的外れなことを書いていると思うが)エンターブレイン側がそうした主張をしてくれなかった、または焦点をそちらに持っていかなかったことはとても残念に思う。

また、こちらも決着してはいないようだが、最近大きなニュースになった青色ダイオード訴訟http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040130ig91.htmのように、たとえ企業が権利を有していても、開発者に十分な報酬が与えられなかったのは違法だという話もでてきている。こちらは文字通り「発明」だし、特許権著作権を同列に論じるべきではないかもしれない。
だが、『FE』というソフトが開発されたことに関して、加賀氏の功績は誰にも疑いえないところだろう。
前述のように、『FE』がなければシミュレーションRPGというジャンルは勃興せず、たとえば『タクティクスオウガ』『FFタクティクス』などは存在していなかった可能性は高い(『FE』以前にも、『FE』が参考にしたとされる『ファーストクィーン』など似たシステムはあったが、普及には至らなかったと思われる)。
ボードゲーム界との関係もあるだろうが、『大戦略』的なSLGシステムにおけるひとつのユニットを一人の人格をもったキャラクターと定義することが家庭用ビデオゲームにおいて不自然でなくなったのはやはり『FE』からだと考えられ、その意味では『フロントミッション』『サクラ大戦』なども影響下にあるといってさしつかえないだろう。
むろん、独立して過去にいた会社で作ったソフトの“続編”らしきもので一山当てよう、と意図したかもしれない加賀氏の姿勢を全面的に支持するわけではない。
だが、任天堂は、加賀氏の退社後も、システムだけでなくストーリー・キャラクターも初代『FE』にそっくりな(それこそパクリである)GBA『FE 封印の剣』や、GBA烈火の剣』(初めて海外版も発売)を発売しているし、コミックをはじめライセンシーによる各種関連グッズの利益もある。加賀氏の“発明”で稼ぎ続けているといえる。それに対して加賀氏に正当な対価が支払われたという話は寡聞にして聞かない。青色ダイオードのように、むしろ加賀氏側が、任天堂に対して正当な対価の支払いを求めて訴訟してもいいくらいではないか(さすがに今後のことを考えるとやりづらそうだが)。
ゲーム制作者の正当な権利というのはもっと論じられてしかるべきだ。青色ダイオード発明者の中村修二教授の発言「若い技術者にやる気をおこさせる」ではないが、当の任天堂自身、多数のゲーム制作者を抱えている(余計なお世話だが、しかも最近の任天堂のゲームを見ていると任天堂関係の開発者の質の低下が疑われる)。業界全体の話だけでなく、ゲーム制作者を締め上げては、自社と下請けの開発者の士気の低下につながりかねない。むしろこれは脱藩者に対する見せしめという、一種の恐怖政治のような効果をもたらすのではないか。
数年前のポケモン同人誌事件http://www.nitiyo.com/zine/poke/といい、任天堂の法務は見せしめのためには相手と手段を選ばないようで、そのバランスの悪さには首を傾げざるをえない(訴訟大国アメリカの経験なのか?)。
いつまでもゲーム開発者をスレイブ(奴隷)扱いしていては、ゲーム業界の未来はない。そのことは、唯一元ゲーム開発者が社長を務めている(岩田聡氏)巨大ゲーム会社の任天堂が一番よく知っているはずなのだが。


http://www.pegasusknight.com/mb/fe2/st_chap3.html

*「このむらも なんどもおそわれて
  すっかり さびれてしまいました▼

*「わかいものは みんなつれさられ
  どれいとして はたらかされている▼

*「ああ、わたしたちは いったい
  どうすれば いいのでしょう

(『ファイアーエムブレム外伝』(1992)「解放戦争」のセリフより。おそらく加賀氏の筆による)


……アレレ? 最初は『逆転裁判』風オモシロ話のつもりだったのに、最後は『ゲーム批評』みたいな書きっぷりになってしまったッス。


関連:訴訟で振り返るファミコンの歴史 〜「パックマン事件」から「ときメモ事件」まで

http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0401/28/news001.html
やっぱりドンキーコング事件http://www5a.biglobe.ne.jp/~ninten/donkeykong.htmlについては「から」「まで」に入ってないのね。……って今回はなんとなく反任天堂っぽい? いやいや私は任天堂ファンですよ!