just a moment

レースゲームは普通、誰よりも早く1秒でも早くゴールに到達するのが目的のゲームである。ライン取りは自由。過程や方法なぞどうでもよいのだ。
一方、同じく乗り物操縦系ゲームでも、ブルーインパルスの一員となって、台本通りに美しく、編隊を乱さないように曲芸飛行をするフライトシミュレータ的ゲームであるところの『エアロダンシング』(1作目。DC)は違う。あらかじめ決められたコースを忠実になぞる正確さが求められる。
あらかじめ決められた模範にできるだけ近づけようとし、正確さを競う乗り物ゲームは、他に『電車でGO!』などもある。乗り物ではないが、ほとんどの音ゲーでもそうだ。
コンピュータには創造力も応用力も芸術的センスない。だから創作演技を判定することはほとんど無理である。『マリオペイント』で描いた絵をスーパーファミコンは評価できない。仮にやらせたとしても、カラオケの点数評価機能のように胡散臭くなるだろう。『パラッパラッパー』のアドリブ評価も釈然としない。
一方、正確さの判定において機械は人間より得意だ。スポーツの写真判定は昔から行われているし、水泳の壁タッチの判定ではコンマ1秒の勝利を機械が判定してしまう。
だから、模範演技をなぞらせるゲームの方が作りやすい。
そもそも、アクション性のあるゲームの判定は、タイミングの正確さの判定か、あるいは当たり判定のいずれかなのである(と、思いつきで言っているので他にもありそうだが)。時間と空間の違いはあれ、どちらも当たり判定であり、当たるか当たらないかはつまるところタイミングの問題となってくる。(これについては『メイドインワリオ』を語るときにでもまた論じよう)
冒頭、レースゲームのことを書いたが、レースゲームも結局は当たり判定を意識させるゲームで、プレイヤーに正確さを要求するという点では違いがない。
シューティングゲームは狙撃と回避という当たり判定ゲームの究極のようなものだが、パターンを覚えるタイプのものだと、そのコースは固定され、あたかも数ミリの誤差での正確なライン取りを行うレーサーのごとき様相を呈し、レースゲームのようになる。まずは試行錯誤しながらもっとも効果的なラインを見出す。ある種の戦略・戦術性だ。そして、後はできるだけ理想のライン通りに走る。集中力と器用さの勝負となる。これはレースゲームもシューティングゲームも同じなのだ。