王権珍授説

野安さんという人は、日記にはしばしば、ゲームに対してけっこう鋭い目の付け所の片鱗を除かせるんだけど、思いつきで終わってしまう。実にもったいない。
対して、ホームページの独立したコンテンツであるところの「コラム」の質ははっきり言ってかなり低い。
どうもこの人はアカデミズムに対するコンプレックスと、海外育ちだけど帰国子女っぽい英語力や発想力が得られなかったコンプレックスがあるようで、ネタの内容は中途半端に読みかじった学説をデタラメにゲームに当てはめるか、割と誰でも思ってることを「日本育ちの君たちにはわかんないだろうけど、海外育ちのボクにはこう見えるんだよネ」というような言い方をすることが多いように思える。
で、今回のは前者の方。
http://plaza18.mbn.or.jp/~noyasu/nikki/newdiary.htm

●8月18日(月)
ゲームの部屋(本館)に、連載コラムの続きをアップしました。今後も、週に1〜2度のペースで更新する予定です。なお、歴史を説明するにあたり、かなり強引かつ無理のある説明をしておりますし、web用に縮めるにあたり、いろいろな部分が端折られております。西洋史に詳しい人は、生暖かい目で眺めてくださいませ。くれぐれも、ツッコミを入れたりしないよーに。

などと言ってますが、ツッコみますよ。別に西洋史に詳しくないからいいでしょ。

http://plaza18.mbn.or.jp/~noyasu/game/Dq8/02.htm

中世とは、神が絶対視された時代である。
……
ところで、中世というと、
王様が偉く、権威を持っているというイメージがある。
ドラゴンクエスト』でも、そうだった。

なぜ、王は、庶民よりも偉いのだろう?
それは、以下のような理由による。

・教会は、絶対的な権威を持っている
・その教会が、次のように発言した
・「王の権威は、神によって授けられたものである」と
・ゆえに、王様は偉いのだ

これこそが、王様の権威を認める根本的な考え方で
「王権神授」と呼ばれるものだ。

かなりメチャクチャな理屈なんだけど、
当時は、これに疑いを持つ人は少なかった。

なにしろ、教会は、聖書を独占的に所有しているのだ。
庶民は、聖書を読めなかったのだから、
教会の言うことを信じるしかないのである。

かくして、王様は、絶対的に偉いものであり、
神様に授けられた権威を持つ者として、
犯すべからざる存在になったのである。

ええっ、中世を語るために王権神授説を持ってきますか。
ふつう王権神授説は近代の話に出てくるんですけど。ルネサンスの後。
高校世界史で習ったと思うんですが。

例によって適当に検索。
http://www.sekaishi.com/mailmag/sekamo/62.html

 中世のヨーロッパ各国では王権は弱く、地方勢力が固有の権力を持つ分権的な国家体制が続いたが、十字軍などを経てしだいに王権が強化されて中央集権化が進んだ。また、宗教改革の流れを通じて教皇の力も弱まり、各国の国王は自国の統治を自己の意思で行うことができるようになった。王権の強化によって王は教会や聖職者を掌握し、それらが持っていた裁判権や貨幣鋳造権を奪って集権化を進めた。しかし、貴族の免税などの特権は温存されたため、国王による完全な絶対政治は実現しなかった。

 絶対主義とは、王権の強化と中央集権化が推進された結果、国王が国の作用を完全に支配する政治形態である。ルネサンス期に封建領主が没落したために王権に対抗する力が弱まった一方、力を持ち始めた市民階級は国内治安の維持や治安維持を求めて王を支持したため、しだいに王権が伸張して絶対主義が成立した。

 絶対主義のもとでは封建勢力は完全に王に従属し、王による特権の保護や年金といった形で所得が保障された。そのため、諸侯の地位は国王の家臣としての意味合いが強まった。また、市民階級は税を払うことで国王を財政的に支えるかわりに、国内統一の恩恵を受けた。また、国王直属の官僚や常備軍が整備され、他勢力の政治に対する干渉を許さない体制が築かれた。

 このような絶対主義体制を作りあげるには、絶対君主の権力基盤を強化する必要があった。そのため、直属の官僚による政治力と常備軍の整備による武力がそろうことが絶対主義化の条件となった。
……
 財源の整備とともに、王権神授説という考え方があらわれて絶対主義を思想的に支えた。王権神授説の先駆者ボダンは、『国家論』のなかで王権神授説を理論的に擁護した。こうした考え方は、アンリ4世やジェームズ1世に影響を与えた。また、ボシュエの思想はルイ14世に影響をあたえた。

 絶対主義は、中世的な封建社会から近代社会へと移行する過渡期的な社会形態であった。

ということで、中世の王権の説明には不適当だと思われます。たしかに王様は教会を無視できなかったけれども、教会のおかげで地位が安泰だったのかというとそうではないでしょ。

ふたたび野安さんの。
http://plaza18.mbn.or.jp/~noyasu/game/Dq8/02.htm

ドラゴンクエスト1』と『ドラゴンクエスト2』の
世界観の合致する。


この世界では、王様の命令は絶対だ。
プレイヤーは、その世界観を
身をもって知っているはずだ。

国王に「竜王を倒せ」と命じられたら
疑問に思うこともなく、冒険しなくてはいけない。

国王である父に「世界の平和を取り戻しせ」と命じられたら
王子や王女たちは、冒険しなくてはいけない。

すべては、王の命令からスタートしていた。
他に理由はいらなかった。
これぞ、中世ならではのオープニング・ストーリーである。

中世ヨーロッパは王と諸侯・騎士は契約関係による封建制度。民衆は農奴とか。
だから、ドラクエ1・2の勇者が王と契約を結んだ騎士なら、王の命令で冒険するのは自然なんだけど(アーサー王と円卓の騎士のように)、ドラクエの勇者はそうじゃない。3の勇者がオルテガの息子だったのと同じように、1・2の勇者は「ロトのちをひくもの」だったからである。『ジョジョの奇妙な冒険』がジョースター家の血統の物語であるように、ドラクエ1〜3はオルテガの血統の話だ。この辺が堀井雄二が日本人である所以かもしれない。
むしろドラクエ4のライアンは、王宮の騎士なので、王の命令で冒険に出るのは自然であって、中世的であるといえるんじゃないだろうか。