Sturm und Drang

私の『逆転裁判』を扱ったコラムに関して、発熱地帯さんは次のように書いてくださっている。
http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000126.html

開発者やマニア層で話題になっただけに、誉めるレビューはかなり多いのですが、ピンとくるレビューがどうも見当たらず、気になっていました。要するに「俺はこのゲームを誉めたいんだ!」という一言で足りるんですね。他は何もいってません。(別に、「好き好き」という感想なら、それはそれでいいんですが、レビューとしてやられる、と……)
誉めるのは簡単ですが、どこを誉めるかが難しい。そういうことを教えてくれるレビューでした。

レビューにまつわる問題。http://d.hatena.ne.jp/AYS/20030810で私は

個人ページによく「俺のゲーム批評」みたいなコーナーがあって、読むと「グラフィックはよい。操作性はイマイチ。8点」みたいなことが書いてあるんだけど。
こういうのを「批評」と呼んでも悪くはないとは思うんだけど、あまり読みたいとは思わない。
ただ、自己紹介の一部としてなら大いに存在意義がある。

と書きましたが、自己紹介だけでなく、「好き好きレビュー」は、そういう記事がネット上でどのぐらい目にするか、というのでその作品の人気度を測るバロメーターにはなると思います。
ただ、いい指摘をしてくれて、論理的に誉めているサイトはgoogleでは検索不能なので、私のような理屈好きとしては、はがゆいところです。(知っているのはリンクhttp://www.intara.net/link.shtmlに載せているところぐらいですかね)


前にも何回か書きましたが、GAMIANが「ゲームレビュー」かというと、微妙だと思っています。
私の思い込みかもしれませんが、レビューというと、ブックレビューみたいに、まず作品を鑑賞して、その全体を踏まえたうえでその作品の価値を論じる、というもののような気がします。
re+viewと書くから、文章であらすじを概観して論じる、というようなイメージを抱いているのかも。

しかしながら、GAMIANではあまりゲームソフト単体をパッケージとして評価しません。
「ゲームについて」は、そのゲームデザインの一部分を取り上げて、その価値を論じようとしています。
「ゲーム紹介」は、基本的に私が気に入ったゲームを、やはりそのゲームデザインの一部分を取り上げて誉めて、勧めようとしているだけです。
こういうのがゲームソフトのレビューかというと、どうなんでしょう。

突然ですがここでトリビア

AYSは、雑誌『ゲーム批評』のライター募集で、落とされたことがある。

上京したとき(2002年)にアルバイト目的で面接に行ってみたんですが、ダメでした。
ゲーム批評』をなめていたところがあったというのもあり、けっこう悔しかったので、「しょせん三流雑誌『ゲーム批評』の編集者は私の書くものの価値すらわからぬのだ」とそのときは納得しようとしたのですが。
ゲーム全体の良し悪しを論じようとしない私の書き方がゲームレビューとしてはナシだったのかな、とも思っています。

と、例によって脱線しまくりですが冒頭の発熱地帯さんでのアテナさんのコメント。

>レビューとしてやられる、と……
 ごめんなさいごめんなさい。サイトの方では特に深く考えることなく「レビュー」と言う単語を使っておりました。中身は「面白かったー!」というだけのお話なんで、ちょっと書き方を直しておこうかと思います。確かにレビュー=評論ですもんねえ。

ん〜? アテナさんの『逆転裁判2』『3』レビューですが、http://www.yaotome.jp/chkof/gyakutenkof.html http://www.yaotome.jp/chkof/000401.html 対談形式とはいえ、こういう内容が、それこそレビューなのではないですか?
すごく具体的にどこが良かったとか悪かったとか書いている、内容のあるものです。

けっこう友情にヒビを入れたり、無用に敵を作る発言になってしまいがちなので、これまであまり書いてこなかったのですが、ドサクサにまぎれて吐露しますと、私はウェブの対談形式の文章が、実はあまり好きではありません。……という書き方をしているというのは、つまり(ここでは)大嫌いという意味ですが。
たとえば、自分の名前を一人称にして話す女の子がいます。「カナはね〜」とかいうふうに言うカナさんのことです。まず私はあれが嫌いです。おかしいよ、さっちゃん。一人称を表明せず、三人称的に表現して甘えているように感じる。(逆に我が強い表現に感じることもありますが)
対談形式は、その嫌な感じをさらに加速したものに見えます。一人称で堂々と文章が書けず、仮想キャラクターに自分の言いたいことを託す。書き手がその生身を読者に曝け出すのではなく、あくまでそのキャラクターがその人格の責任においてそう語っているのだ、必ずしも自分の意見とは100%一致しない、と言い訳の余地を残しているのです。
さらに、自分の発言に自信がないからなのか、あるいは別の理由からか、もう一人の仮想キャラクターを作り上げ、それにツッコミを入れさせたり、賛同させたりする。
そういうジサクジエンが、なんかすごく独りよがりで、甘えた言論活動に見えてしまうのです。(甘えた自己表現というなら、よくある「100の質問」なんかに対する私の感情も、これに似ています。)*1

また、会話の内容も、どこかのマンガやアニメやゲームで見たようなやりとりのことが多い気がします。凝ったのになると、それぞれのキャラクターのいろんな表情の画像までつけてたり。そういうカルチャーの読者は共同体意識で楽しめるんでしょうが。
しかも一般的に回りくどい。私は余計なアニメ風素人会話芸など読みたくないのです。本題だけ提示してくれと。

というわけで、これまでの私の嗜好からすると、アテナさんの『逆転裁判2』『3』レビューは本来、形式的に辛くて読めない部類に入るのです。

と、ここまで読んだ方は、では私はアテナさんのレビューにも批判的なのだとお思いか。
これはしたり! ズヴァリ今回にかぎってそんなことはないのであります!
いいですか、だいたい、書き出しがこうですよ。

A:やあれ皆様。本日はこの麻宮アテナがお送りする「逆転裁判3」レビュウへようこそ。この空前にして絶後、地も動き天も驚く名作ゲエムの最新版をプレイ出来たその喜びを、まずは皆様と共にお祝いしたい。

やあれ皆様ですよ。レビュウですよ。ゲエムですよ。
つまり『逆転裁判』における文体とは、こういうものなのです。
逆転裁判』を語りたいのであれば! この文体でなすべきなのですよ!
魑魅魍魎の跳梁跋扈する頻闇の帳が帝都を包む宵、決闘の緞帳が開くのです!

*1:甘えた自己表現といえば、この私のはてなダイアリーがその最たるものです。推敲せず、思ったことをそのまま脈絡なく記述しているわけですから。さらに、他人の書いたものを引用して尻馬に乗る、という形式。表題の「follow them」とはつまり他人の言説の後をついていくことを意味しています。