「河童のクゥと夏休み」原恵一監督インタビュー

河童のクゥと夏休み」、いよいよDVDが発売されるようですね。河童のクゥと夏休み 【通常版】 [DVD]
2007年5月18日、映画公開前に原恵一監督インタビューさせていただいた原稿を発掘して掲載します。

新聞や雑誌などの媒体にインタビューの場をアレンジしてもらって取材に行くことが多かったのですが、このときはたまたまこの映画の宣伝担当の方が以前お世話になった方で、直接私にオファーがあり、インタビューの後、媒体に売り込むという形になりました。(抄録が毎日新聞社のサイトに掲載されました
監督も時間をオーバーしてまでお話をしてくださり、興味深い話が多く、埋もれさせるのはひじょうにもったいないのでほぼノーカットで掲載します(もちろん編集はしてありますが)。

※ネタバレを割と含みます。

――「クゥ」は、監督が長年温められた企画とのことですが。

20年ぐらい前に、「エスパー魔美」のチーフディレクター(監督)をしていたとき、将来どういうことをやってけばいいだろうと考えていて。
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オリジナルのアニメ作品が減っていて、マンガの原作ばかりになっていたんです。
人気マンガをアニメ産業がアニメ化するだけという風潮はどうかと思って、アニメ産業は何かをしないといけないと思ったんです。
子供向けのアニメを企画を探そうと、毎週のように自腹で何冊か児童文学を買っていました。
その中で、一番、アニメーションにする可能性を感じたのが、「河童のクゥと夏休み」の原作「かっぱ大さわぎ」「かっぱびっくり旅」(※2作品をまとめたものが「河童のクゥと夏休み」と改題して復刊されている)なんです。

河童のクゥと夏休み

河童のクゥと夏休み

江戸時代に生きていた子どもの河童がよみがえり、現代の家庭で生活する、という話に、ものすごく可能性があるなと思いました。
河童はみんな知っているもので、特定のキャラクターではないですし。
河童なら化石みたいになって、水につけてよみがえるというのは、ありそうな気がしたんです。

河童の出てくる作品をやるなら、原作以上のうまいお話を思いつかなかったので、これを原作としてやろうと決めました。
でも、実現にこぎつけるまでには、20年という時間がかかってしまったのですが……。
原作者の小暮さんは、今年(2007年)の1月に亡くなってしまいました。
生前お会いしたとき、「映画にするにあたって原作をアレンジしたいんですけど」と話したら、「どんなふうにしたいの?」とは聞かれなくて、「もう一度クゥが世に出るなら、うれしいのでお任せします」と言ってくださったんです。
映画は昨年末には完成していたのですが、映画をお見せする前に小暮さんが亡くなってしまって、本当にがっかりました。それが本当に悔いになっています。

20年前にクゥを最初に企画したときは「子供向けのものを」と思っていましたが、今では「クレヨンしんちゃん」をやって、子どもだけではなくて大人も見てほしいという気持ちが大きくなりました。

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――親の世代といえば、監督の「しんちゃん」の映画では父親にフォーカスが当たり、「クゥ」では母親にフォーカスが当たっている気がします。

そういう意図があったわけではないですけれども、家族構成を考えると、一番長い時間クゥと接するのはお母さんだろうと。
康一くんは昼間は学校に行っているわけですから。
最初にお母さんがクゥを見たときに気持ちが悪くなるというシーンがありますが、やっぱり女の人はだいたい、は虫類系は嫌いじゃないですか。
でも最後には、お母さんはクゥに違う気持ちで接するようになる。

――康一くんが旅に出るのを見送るときに、母親は複雑な感情を見せて、父親がキョトンとしているシーンがありましたね。

試写を見た方の感想でも、そのシーンへの反応が思いのほか多くて、うれしいですね。
ふと思いついて入れたシーンなんですが、迷ったシーンなんですよ。
僕は独身で子どもがいないので想像で作った場面だから、この反応はリアルなんだろうかと不安はあったんです。
まったく意味が通じないシーンになってしまうんじゃないかと。
子どもが一人で旅立つときって、それをお母さんが涙出して見送るっていうところまで、気持ちが揺れるのかなって。
心配は心配なんでしょうけど、なぜ涙ぐむところまでなったか。僕は心配という感情だけではないと思ったんですよ。
子どもが「一人でここに行きたいんだ」って思ったというのは、成長なんです。
日々接しているうちに、子どもは徐々に変わっていくんだけど、それは大きな変化だと思うんですよ。
クゥがいたから、康一くんも成長してそういう気持ちになったわけです。
それに反対しつつも、康一くんを見送るときって、「子どもだと思っていたけど、日々成長しているんだなあ」と、考えるんじゃないかと思ったんですよ。
逆に言えば、子どもが自分の世界を持ち始めて、自分の考えで行動を始めることになる。「子どもが自分から離れていく」という、悲しいことでもあるんです。
それがあの涙なんです。劇場で見たお母さんが見て、「あの気持ちはわかる」って言ってくれるとうれしいですね。

――原作にはない、康一くんの妹を設定したのは?

康一君の妹の瞳ちゃんという子は、クゥと一番対立する存在として出したんです。
何かというと反発するキャラがいた方がいいような気がしたんですよ。
おわかりのように、「しんちゃん」の一家と同じ構成なんです。
「しんちゃん」の場合は、しんちゃんが、それまでは自分は一人っ子でお父さんとお母さんが自分ばっかりを見ていたのに、妹のひまわりが生まれて、両親が小さな妹の方を見るようになる。
だから妹に嫉妬するという構図なんですけど、「クゥ」の場合は、瞳ちゃんがクゥを嫉妬するわけです。瞳ちゃんを出そうと思ったのは、そういうきっかけですね。
僕自身も妹はいますけど、その体験が元になっているわけじゃないんですけどね。

――「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」から「クゥ」まで5年間のブランクがありますが、その間は何をされていたのでしょうか。

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頼まれてアニメ映画の脚本を書いたり、特撮映画のアイデアを提出したりしたことはあったんですが、いまのところ実現していません。
声をかけていただけるのはすごくありがたいのですが、当時はシンエイ動画に所属していたので、あまり勝手なことをするわけにもいかなかったんですよ。
「戦国」から「クゥ」まで、いつの間に5年経ったんだろうって、僕もびっくりしたんですけどね。5年間かけて「クゥ」を作ったわけじゃないんです。
まず、この企画が決まるまでものすごい歳月がかかったんです。「クゥ」が作れるようになるまで、ずいぶん紆余曲折がありました。
僕自身も、「しんちゃん」を作っていた頃にずっと「クゥ」のことを考えていたんです。「しんちゃん」が終わると、「クゥ」を進めないと、といつも思うんですが、すぐに次の「しんちゃん」を作らなければいけない、という繰り返しで。
「戦国」が終わったところで、はっきり「クゥ」にシフトしようと思ったんですね。「クゥ」に専念しようと思ったけど、必ず作れるという状況でもなかったんです。
「しんちゃん」を観てくださった方々が、「他に作りたいものはないか」と言ってくださったので、「しんちゃん」のおかげで、これを作れたという部分は大きいと思います。
ただ、「クゥ」の企画を見て、「それはいいねえ」と言ってくださった方はあまりいなかったですね。「原作はぜんぜん聞いたことない」「いまどき河童ですか?」みたいな感じで。
映画は大きなお金が必要なので、「いまこれだけ売れているマンガが原作です」みたいな保証が何もなかったわけですから、それは当然だと思うんですけどね。
最近聞いたんですけど、映画界には「河童の映画はヒットしない」という法則があるみたいなんです。(笑)

長い年月の中で、自分の中での「クゥ」の脚本は変化していきました。キャラクターが増えたり、原作のキャラクターが減ったり。
1本の映画としてするための作業で、いつの間にか変っていったんです。でも、原作からすべてが始まっているので、僕にとっては原作は絶対的なものなんです。

――原作にない大きな要素は?

いじめに関するものですね。原作には描かれていないんですけれども。子どもの社会の残酷な部分も描きたいと思っていたんですよ。
今回は、僕の考えるリアルな子どもたち・大人たちにしたかったんです。
観た人が、「いまどきのお父さんお母さん、子どもだね」と思ってもらえるキャラクターにしたかったので、あえてああいう子どもたちにしました。
実際に子どもたちにインタビューとかをしたわけではなくて、自分の中のイメージで作り上げていったセリフなんですけれども。

最初は、康一君も、紗代子をいじめていたというか、みんなと同じことしかできなかったんです。
いじめを描くために菊池紗代子というキャラクターが必要なキャラクターだったんですね。
実は、菊池紗代子という名前には意味があって、つげ義春のマンガに「紅い花」という名作があるんですが、小学校高学年ぐらいの男の子と女の子が出てきて、女の子の名前がキクチサヨコというんです。紅い花 (小学館文庫)
男の子がサヨコにちょっかいを出していて、最後は男の子がサヨコに優しいところを見せるという、いい作品なんです。
サヨコが初潮を迎えるというエピソードで、サヨコの方がどう見ても大人っぽいんです。たしか年齢も少し上なんじゃなかったかな? 女の子は大人っぽくて、男の子はガキで。
でも、意識しているからちょっかいを出す。男の子だから、優しくしたいのに乱暴してしまうとか。
「クゥ」でこのキャラクターのことを考えたときに、キクチサヨコのことが頭に浮かんだので、名前をもらったんです。

――オッサン(康一の飼い犬)も、いじめに関するキャラクターですね。

オッサンというキャラクターも、20年の構想期間に途中で生まれたキャラクターなんですけど、最初はああいう役回りのキャラクターではなかったんですよ。
このオッサンというキャラクターも、実は前の飼い主にいじめられていたとか、テレパシーでクゥと話せるというのを考えたのも絵コンテを描いている途中だったんです。

――東京タワーを家族で歩いて上るシーンがありますね。「オトナ帝国」でも、家族で(偽の)東京タワーを上るシーンがありますが……。

僕自身、東京タワーが子どもの頃から大好きなんですよ。東京タワー2007
怪獣映画とかフィクションの世界でたびたび壊されたりするものが、実際にあるというのが興奮したんですよ。
大人になってからも、東京の建物の中で一番好きですね。形に惹かれるのかな。
でも、何年か前に、展望台の上にアンテナがついてしまったんですよ。ああ、なんてカッコ悪いって。あれは見るたびにガッカリしますよ。
「クゥ」であのシーンをやるということで、まずいなあ、「しんちゃん」でやってるしなあ、ビルにしようかと迷ったんですけど、「それが俺の作るものだよ」と開き直りました。やたら東京タワーにこだわるというね。
順番は実は逆で、「オトナ帝国」を作っているときにすでに「クゥ」のあのシーンのアイデアはあって、「クゥ」のアイデアを「オトナ帝国」に流用したんですよ。
昔は今みたいに高い建物があまりなかったので、東京タワーはもっと人気スポットだったんです。だから、エレベーターがお客さんをさばききれないと、階段を上らせてくれたんです。家族で上ったんですが、僕はものすごく怖かった思い出があるんです。金網で囲われているので安全なのに。僕があんまり怖がるので、親はあきれていましたね。
「オトナ帝国」の取材で何十年かぶりに行って、「クゥ」のときにまた改めて上りました。

六本木の街が出てきますが、取材で写真を撮りに行ったのは何年か前なので、現実には東京ミッドタウンでもう完成しているビルが、この映画の中ではまだ建築中なんです。

――康一くんの住んでいる町が原作とは違いますね。

原作では群馬県なんです。原作者の小暮さんが群馬の出身で――僕もなんですけど――、それで原作ではたぶん小暮さんの地元の、架空の町なんです。
原作の小暮さんは東京都の東久留米市に住んでいて、会いに行ったときに東久留米の街並みをなんとなく見て、なぜかいきなり「ここを舞台にしたらどうだろう」と思ったんです。
東久留米市は真ん中に川が2本流れていて、川も整備されていて、河童の話をやるのにふさわしい気がしたんです。河童は水に縁がある生き物なので。
でもやっぱり、後でそうじゃない方がよかったのかな気もしたんですよ。劇中でも実名で出てくる黒目川という川は、一時期はずいぶん汚かったそうなんですけど、市民の努力できれいな川になったそうなんですよ。川岸に遊歩道も整備して、いい感じの川になっているんです。
この話には「、昔は蛍が舞うようなきれいな川だったけど、今はぜんぜん違う川だ」というのがふさわしいんですけど、今の実際の黒目川というのは、意外ときれいなんです。それを考えると、ゴミがものすごく捨てられているとか、落差の激しい川の方が良かったりしたのかな……とも思ったんですけどね。

でも、実は昔に流れていた場所と場所が微妙に変わっているんです。だから、それを言っちゃうとこの物語はありえないということになってしまうんですけど。その辺は嘘をついているわけですけど。

原作では山の中の川なんですが、「こんなうちの近所に」という方が意外性があるし、昔と今の対比が利くんですよ。意外とシンエイ動画から近いというのもあったんですが。

西武池袋線沿線に住んでいたんですが、東久留米のひばりが丘という街に上京して初めて住んだんです。東久留米に以前行ったこともあったんです。当時はもっと田舎だったんです。久しぶりに行ったらだいぶ違って驚きました。

――河童伝説の遠野も出てきますね。

「クゥ」を形にしたいと思い始めてから、遠野には何度か個人的に行っています。初めて行ったのは16〜17年前ですね。初めて行ったときと、「クゥ」のために行ったときは、ちょっと様子が変わっていますけどね。映画に出てくる「河童を見つけたら1000万円」とか、河童を見つけるためのライブカメラとかは実際にあるんです。

――沖縄が出てくるわけですが。

あれは原作にもぜんぜんない部分ですけれども。これを思いついたのもけっこう昔のことなんです。
今でこそ、沖縄は特別な、癒しの、魂に訴えかけるような場所になっていますよね。
当時、このアイデアを思いついて、いい着地点を見つかったと思ったんですけれども。
クゥを救うのは沖縄の妖怪、沖縄という場所なんだ、というのは意外で、納得ができると思ったんです。
その後、徐々に沖縄がブームになったんですね。僕はそれをハラハラしながら見ていたんですよ。沖縄がかたちを変えていってしまう。

キジムナーというのは、河童の仲間なんですけど、妖怪というよりは実体のない妖精のような存在でもあるみたいなんです。
それを知ったときに、「これだ!」と思ったんですよ。
その頃に、「パラダイスビュー」「ウンタマギルー」という映画を見て。
僕は会社を休んで、東南アジアをバックパッカー旅行をしたりしていたんですけど、「パラダイスビュー」を見て、「日本にも東南アジアがあるんだ!」って、かなり衝撃を受けたんです。
当時、あまり知られていなかったんですよ。だんだん、本土の人たちが沖縄に興味を持ち出して、どんどん沖縄が「本土で傷ついた心も沖縄に行けば癒される」みたいな物語がどんどん増えてきて、「俺が先にそれがやりたかったのに……」と思って。(笑)

――キジムナーといえば、ガレッジセールのゴリさんが声をあててますね。キャスティングはどのぐらい監督の希望が反映されているのですか?

ほとんどですね。タレントさんが多いので話題作りのために思われるかもしれませんが、それも多少ありつつ、役としてハマる人ということで。キャスティングは僕に全部任せてもらえたんですよ。なかなか決められなかったですよ。

――アニメの声優さんをメインキャストには使っていないのは狙いが?

普段アニメの声優さんと仕事をしていると、ある程度予想がつく範囲のものになるわけですよ。今回は冒険がしたかったんです。
声優さんの独特の芝居というのがあって、どうしてもオーバーになりがちなんですよ。
割と型にはまったことをやる人が多くて、それは役者さんが悪いということではなくて、アニメ作品はそういうものを求める作品が多いので、自然にそうなっていったと思うんです。
「クゥ」には、もう少し生々しい声が欲しいなと思ったんです。
だから、子どもたちもオーディションをして、役に近いイメージの子を探しました。
クゥの声の子役は10歳、アフレコをやっているときは小学4年生だったと思います。康一と紗代子の役の子は当時中1、瞳役が7歳だったかな?

――劇中の康一くんたちは小学生というより中学生ぐらいの体型の気もします。

資料とかがあるわけじゃなくて、「いまどきの5年生はこんな感じかな」と描いていくわけですけど、普通のアニメより多少大人っぽくしたかったんですよ。
でも、実際に学校に取材に行って5年生の子どもたちを見ると、「あれ、このキャラクターはちょっと大人っぽいな」と、ちょっとまずいかなと思ったりはしましたが、結局変更はしなかったんです。5年生6年生の子どもたちって、体の大きさとかものすごくバラバラなんですね。だから、そんなにも嘘じゃないだろうなと。
あらすじとかには「5年生」と書かれることがあるかもしれません。たしかに、最初は5年生という年齢設定をしていたんですけど、劇中には一切言及するのはやめたんですよ。

――妹の瞳役は、表情豊かで、かなり顔が崩れたりしますね。

あんなもんじゃないですかね。小さい子というのは。気に入らないことがあったりするとふくれたりするでしょう。そっちの方があリアルだろうなと。
(クゥを)大嫌いから大好きになる、というのは、ものすごい変化なわけですよ。監督というのはそういうのに挑戦しないといけない。最初から大好きで、最後も大好きというのでは、何の起伏もないじゃないですか。映画の時間内でその変化を描くのは大変なんですけどね。

――クゥのお父さんが冒頭で龍の話をしていて、東京タワーのシーンでその龍が出てきます。


あの龍は、神様なんですね。龍神ですけど。この映画で神様を出したいと思ったんですよ。命とか、神様とか、あいまいでかたちのないものを入れたいと思っていたんです。
神様が地上に姿を現したら、人はどう思うんだろう。怖がる人もいるだろうし、クゥにとってはそれが救いだったりもするわけです。
ちょっとした奇跡を物語で起こしたかったんです。
人間が望んでも来ないけど、河童が心から望めば龍は来るんじゃないかと思ったんです。
クゥのお父さんが呼んでくれた、ということに一応はしているんですけどね。

僕は、河童を、妖怪というよりも少数民族みたいな意識で考えていましたね。人間の歴史の中で、迫害されて消えていった民族っていっぱいいるわけじゃないですか。
ネイティブアメリカンの人たちに僕は興味を持っていて、だぶらせているところはあります。
人間がどんどん増えて、河童が暮らしていた土地を好きなようにどんどんいじくり始める。河童は生きられなくなる。
アメリカという国は、そういう歴史があるわけですよね。
ネイティブアメリカンの信仰や死生観を違和感なく読めるんですよ。
僕は河童に実際に会ったことはないので、河童の気持ちを知る手がかりが欲しかったんです。

アメリカの記録小説で「イシ」(シオドーラ・クローバー著、岩波書店)という作品があるんです。
元の暮らしを守っていた、アメリカ最後のネイティブアメリカンの記録なんです。

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)

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どんどん仲間が殺されたり死んでいって、とうとう一人ぼっちになってしまうんです。どうにもならなくなって、最後は白人のいるところに現れるんです。
殺されると思って出てきたんですが、人類学の教授か何かが面倒をみるという記録なんです。
都会に住まわされて、何もかも珍しい。でも、ネイティブアメリカンらしい行動をとる。山の中に行ったらすごく生き生きとして、自分の弓矢で狩りをしたり、川で泳いだり……。
「イシ」は、参考としてはかなりキーだったかな。
ゲド戦記 全6冊セット (ソフトカバー版)
後で知ったんですけど、それを書いたのが、「ゲド戦記」を書いたル=グウィンのお母さんだそうなんです。イシの面倒を見たのは、その旦那さんだそうなんです。

――命の表現とは?

肉体は滅ぶけれども、命は不滅であってほしいという僕の願望があるんですよ。それを魂と呼んでもいいんでしょうけど。
死んだらそれまでというんじゃ面白くないじゃないですか。死んだら死後の世界があった方が面白いし。
クゥのお父さんは死んでいるけれども、なんとなく死んでいないように描いているんですよ。クゥが話しかけて、それに答えてくれたりしてほしい、という僕の願望があって。
でも、幽霊のお父さんが直接語りかけてくるみたいな演出にはしたくなかったんです。なんとなくお父さんの存在を臭わせるぐらいにしたかったんです。

――けっこう残酷な表現がありますよね。冒頭のクゥのお父さんの死や、東京タワーでカラスが死んだり。

そこはあえてしましたね。作っていく過程で、やっぱり問題になったりはしたんですよ。で、もっと残酷だったのを短くしたりはしているんです。
一切なくしてほしいと言っていた人もいたんですが、僕はあえて残したんです。いじめもそうだけど、残酷な部分も残したかったんですね。

――公開が目前ですね。

子どもにも見てほしいし、自分と同世代の大人にも見てほしいし。満足のいくものができたと思っています。
絵コンテが終わった段階で、3時間分あって、だいぶ削りました。
日常的なたわいのないシーンがもっとたくさんあったんですが、削りました。そういうものも丹念に描きたかったんですけどね。
2時間以内に収めてほしい、という意見ももちろんあったんですけど、「これ以上短くできません。勘弁してください」というところまで削りました。
長いと言われるかもしれませんが、「俺にとっては足りないんだよ」って感じで。(笑)

原作から映画化まで、ちょうど1世代分ぐらい時間が経っているので、劇場に子どもをつれて見に来たお父さん、お母さんが子どもの頃に原作を読んだことを思い出したりしたら、最高ですけどね。

――次回作は?

20年間関わってきたものが終わって、実はものすごい喪失感を感じています。
「次に何か」と言われても、「そんなにすぐに立ち直れるわけないだろ!」という感じです。(笑)
他にも並行して温めている企画があるとかいうわけではなくて、本当にこれ1本だったので。
これからもアニメーションを作っていこうとは思いますけど、そんなにすぐには次の企画は考えられないですね。
フリーにはなったので、お声がかかればいろいろやっていきたいですね。実写にも興味はあります。でも、意欲はあってもそうそう作れるもんじゃないというのはわかっています。
ある程度ボリュームのある物語を作りたいので、映画を作っていきたいですね。

▼7月23日追記:
参考リンク:アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本

河童のクゥと夏休み 【通常版】 [DVD]

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クゥと河童大王
河童のクゥと夏休み 絵コンテ集

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映画 河童のクゥと夏休み (小学館のアニメ絵本)

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