m(ixi)

AYS2004-07-09

最近、mixiミクシィ)が楽しい。

mixiの他にgreeorkutにも登録しているのだけど、greeは検索機能がショボイいし、なんとなく無機質な世界な感じがするのであまり使っていない。
本家orkutも検索機能に不満がある(たとえば「シアトルに住んでる日本マンガ好き」を検索、みたいなことができない)し、英語だからなあ。時間があったら海外のペンパルを作りたいんだけど。

私がインターネットを始めたのは1995年の5月なのだけど、その頃はまだ日本語の(ちゃんとした内容のある)ウェブサイトがあんまりなくて、日本語よりも英語のページばっかり見てた気がする。自動翻訳もなかったのに。日本語でのコミュニケーションはもっぱらfjを使っていた。
なにしろ、「朝日新聞社のサイトができた! これでネットで日本語のニュースが読めるぞ!」とか、「gooという検索エンジンはすごいな!」とか「ネットスケープがついに日本語に対応したぞ!」(当時私はUNIXを使っていた)とかでいちいち盛り上がってたぐらいなのだ。
だんだん日本語のサイトが増えてきて、それに伴ってgooやgoogleみたいな優秀な検索サイトが出てくると、他人(日本人)の作ったサイトを見るのが楽しくなった。どんな人が、どんな題材に対するページを作っているのか。

いまのmixiは、なんかその頃の感覚と似ている。名前だけ知ってる知人の友達とか、有名人とかが続々参戦してくる。
日々、その規模が拡大しているのを実感する。mixiは黎明期のウェブサイトのようでもあるし、ウェブサイトそのものの相似形のような気もする。
マンガ評論家の夏目房之介さんや竹熊健太郎さん、ゲームなら『ゼビウス』の遠藤雅伸さん、あとナムコスクウェアのスタッフの方なんかを見つけた。うれしい。
mixi内で竹熊さんは日記という名の面白いコラムを書かれているし、夏目さんは映画やマンガのレビューも始められた。mixiというシステムがなければ、読めなかった文章だ。得した気分である。実際、得しているんだが。

また、「足あと」というシステムがあって、その人のmixiページを見に行くと、私が見に行ったことがその人にわかるようになっている。
だから、たとえば一度お会いしただけで(こっちのことは忘れているかも)、特に親しいわけではない特に目上の人なんかにはこちらからはメールは送りづらいのだが、相手が覚えてくださっていると、相手の方から私へメールを送ってくださったりする(というわけで、「先輩」な方は、ぜひ会ったことがある若者の足あとを見つけたら、気軽にメッセージ送ってあげてください)。私の場合は、ゲーム業界人の浅野耕一郎さんとかマンガ家のはやのんさんとか。
あるいは、ウェブではお互いの名前を知っていても、なんとなく直接コンタクトをとるきっかけがないな〜という相手とも、コンタクトをとりやすい。私の場合は、たとえばid:takanabeさんとか。
そこで交流が始まったりして面白い。

mixi内の個人ホームページはいろいろな画像が貼ってあって視覚的に愉しい。
まず、その人の写真。リアル顔写真のこともあるし、顔写真じゃなくてもその人の趣味が出るのでその人のイメージをつかみやすい。
そしてその人が入っているコミュニティの画像バナー。コミュニティは、2ちゃんねるでいう掲示板とかスレッドみたいなものなのだけど、いまのところあまり活発でない気がする。でも、画像バナーのおかげで、その人の趣味がわかる。その人の部屋を覗いているような感じがする。
自分の好きなもののコミュニティを見つけて、その画像バナーを自分のホームページにコレクションするのも、楽しい。

これがmixiでなくて、普通のウェブサイトの場合、いまはもうサイトの絶対数が多すぎる。しかもみんな好き勝手なウェブデザインをしているので(それ自体は別にいいのだが)、その人がどんな人か、その人のサイトのどこを見ると一番楽しいのか、あるいは面白いところがぜんぜんないのか、見極めるのに時間がかかる。
それに比べて、mixiは情報が整理され、同じフォーマットになっているので、効率よく見ることができるわけだ。

そしてソーシャルネットワークなわけなので、友達の写真バナー。これもある意味コレクション性があるし、コミュニティのバナー(趣味の表現)同様、その人の人柄が窺える。
そしてその写真バナーがその人のmixiホームページへのリンクになっているので、どんどんネットサーフィン(死語)ならぬ、mixiめぐりができてしまうのである。
ぜんぜん知らない人のページから、2,3度クリックすると知ってる人のとこにたどり着いてしまったりして、ケビン・ベーコン数の世界を実感したり。それもまた楽しい。*1

*1:それにしても、はてなキーワードリンクがあるので、いちいち用語の説明をしなくていいのが楽だなぁ

みぃ

この前http://d.hatena.ne.jp/AYS/20040526も書きましたが、なんだかんだでmixiを毎日見てます。orkutgreeも登録してみたけどなんか使いづらい感じ。名前でしか他人を検索できないみたいだし。

http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20040605#1086448298

■ [WEB]mixi 00:11
 mixiは結局つまらなくて退会してしまった。要は私がインターネットに求めるのは人間関係や友人ではなく、他人の思想なのである。mixiは同好の士が比較的簡単に集まれるのだけれど、そこでは人間関係が主となっていて、エキサイティングな思想の発露がされているわけではなく、同様に議論も生まれていない。そういったぬるいコミュニティもいいとは思うのだけれど、私はどうもあいませんでした。綾茂さん、こっちから「入れてー」っていっといてゴメン。

id:tragedyさん、相変わらず決断がお早い。というか、やめる直前、日記にかなり強気のコメントを残されてたよーな。なんか嫌なことでもあったんでしょうか。
「コミュニティがぬるい」というのはいまのところ同感。2ちゃんの方がまだ有意義な議論もあったりする。

私はどちらかというと、他人のmixi日記を読んだり、気軽にメッセージを送ったりするために使っているという感じ。いまのところ、mixi友達はいない。
はてなに日記を持っている方も、mixiでは(たぶん「友人にのみ公開」で)より本音に近いことを書いているようだし。


……「ネタにしてOK」との許可が出たので書きますが、今日見たら、夏目房之介さんまでもが「ふーじぃ」という名前でmixiに参加されてた。びっくり。

dying message

前日に引き続き、鳶嶋工房さんhttp://www.tonbi.jp/Text/Diary/2004/05.html 2004-05-31

なぜサイトを閉鎖するのか?
 更新できなくなったとか、情報が古い、という理由でコンテンツを削除する人が多いのですが、どうにも理解できません。
 更新できない情報や、古い情報に価値がないのなら、本は意味が無いことになるが、そんなコタァ無い訳でね。
 公開するかしないかを決める段階では、そのコンテンツの価値を判断するのは制作者ですが、公開した後の価値を判断するのは制作者ではありません。
 公開されたコンテンツの価値判断はもはや制作者の手を離れています。判断するのは読者(利用者)です。
 ですから、制作者がコンテンツの価値が無いと判断して削除するのは、実におこがましい行為ともいえます。

なるほど。
「古い情報に価値がないのなら、本は意味が無いことになる」というのは説得力があるなあ。
そもそも、文字っていうのは本来情報を残すためのツールなのだった。忘れてたよ。シュメール人さんごめんなさい。
もともと文字は、情報を残すためのものだった。だが印刷技術が広まると、それは知識・思想を広く配布するためのツールに変わった。ウェブサイトというのは、そのオンデマンド性・リアルタイム性・双方向性を強化したものである。
閉鎖するというのは、自分のこれまでの言論活動を「やっぱなかったことにして」というという意味である。潔くない。
まあ、私も潔くないタチなので、責める気はそんなにないが。
どっちにしろ、Internet Archive http://www.archive.org/とかに残っちゃうんだけど。googleのキャッシュ同様、どう考えても著作権違反だと思うのだが、ウェブ自体がこういう性質のものなので、その辺は目をつぶった方が多くの人が幸せになれると思う。

 この考えを拡張するとURIを変えるのも、プチ閉鎖にあたるわけで、非常によろしくない。

URLを変えられると、リンクを修正するのがめんどいのでやめてほしい。プロバイダを変えたとかならしょうがないけど、単に「サイト構成を整理したいから」とかいう理由で変えるなと。最初から整理しとけ。

Give, and it will be given to you.

私は、広告うぜえ派なので、上に広告がいっぱい貼ってあって、スクロールしないと読めないとか、右上に広告バナーが居座っていて重なってて見えないページなんかが嫌いである。
だから広告は如何なものかと思っていたのだが、複数の巡回先がamazonのアソシエイトプログラムとかを始めたので、考えを改め始めている。

はえるさんhttp://someiyoshino.cool.ne.jp/NowOrNever/non2/archives/000326.html

アマゾンのアソシエイトプログラムに登録しました。いずれ空いてる所にバナー貼ろうとおもうておりやす。

鳶嶋工房さんhttp://www.tonbi.jp/Text/Diary/2004/05.html

投げ銭はいいなぁ
 ありがたい事に、うちのアフィリエイトリンクを利用して買い物をした人がいました。
「これで本が買える!」というのも大きいと思うんですが、予想以上に励みになります。
 資料を買う足しにして、サイトの内容を充実させる形で還元したいと思います。
 このサイトに限らず、お気に入りのサイトにアフィリエイトリンクがある場合、なんか買う時に利用すると、世の中しゃーわせになると思います。
 あ、自分のサイトのトップにアフィリエイト投げ銭ブックマークレット置いとくの忘れてた。
 金くれー金くれー、って言ってるみたいでナンですが、興味ある方は、実験してみて下さい。幸い懐は痛みませんし。
2004-05-28

う〜ん。なるほど。同じamazonで買うにも、紹介者に数%の紹介料が入るなら、そっちの方がユーザーが得するの総和は大きくなる。最大多数の最大幸福というやつである。
特にDVDボックスとか高額商品を買う場合とか、いつもタダで面白い読み物を読ませてもらっているサイトに、自分の懐は痛めずに貢献できるわけで、けっこうイイかも。
でも鳶嶋工房さんが

Amazonアフィリエイト投げ銭はサイトを通過しないとダメ?
 Amazonの場合、refererをチェックしているらしく、一度アソシエイトIDを持っているサイトを通過した後購入しないと、このアフィリエイト投げ銭の効果は無いようです。
2004-05-30

と書いているように、システム的な問題点もあるみたい。

おまえの次のセリフは……だ!

DDIのPHSを使い始めたのは大学の頃だから、もうかれこれ7年ぐらいになるんでしょうか。
しかし、私は携帯電話・PHSのテンキーで文字入力するというのがどうにもアホらしくて、メール機能はほとんど使っていませんでした。
が、先日機種変更した京セラの通称「京ポン」ですが、予測変換機能というものがついていて面白い。
要するに、「あ」と入れただけで、「明後日」「ありません」「ありがとう」「明日」「会える」「アーティスト」「R&B」「あいかわらず」「アイスクリーム」なんていう候補が出てくれるのです。勝手に学習もしてくれます(なので他人に見られると、『どこでもいっしょ』のトロみたいに、普段の語彙がバレます)。
ソニー製の携帯電話にはけっこう前から搭載されているというのは知っていたのですが、この機能があるので、ちょっくらPHSでメールでも打ってみようかなとか思ってポチポチやってる今日この頃。


楽なことは楽なんですが、むしろいろいろと興味深い。
第一に、私の書いた文なのに私の文じゃなくなる点。
最初は「ありがとうございました」と打とうとしたのに、「ありがとうございます」と予測変換候補が表示されると、「ま、『ございます』でもいいか」とそっちにしちゃったりする。
他にも定型文というのがあって、入力回数を減らそうとすればそっちも使います。予測変換と定型文に支配されつつ文章を書くわけです。
同じような意味なら、予測変換君のオススメや、定型文に乗っちゃうわけです。最初はあくまで自分の文体で書いていけば、学習されて自分の文体で書けるようになるかもしれません。
しかしながら、基本的に文章というのは同じ語尾や同じ語句の反復を嫌って、意図的にパターンを変えるものであるので、さっき使った語彙がすぐ出るのがいいとは限らないのです。


第二に、できるだけ少ない入力数で文章を完成させるというゲームになるという点。
詰め将棋とか、RPGの戦闘みたいに、「最善手で文章を完成させよ!」みたいなゲームになるわけです。いわゆるゲーム性ですよ。
「『渋谷』はさっき打ったから『しぶ』で出るな」と予測変換の予測(!)をしたりするようになるわけです。
予測変換を予測して、なるべくキーを押す回数を少なく、効率よく文章を打つための戦略を考えるようになる。
むしろ携帯電話のキーを押すのが嫌いな私だからこそ、戦略性があって楽しいのかもしれない。

予測変換は便利でうれしい。でも、ちょっと機械に操られてるっぽくてシャクでもあります。
こういうのがパソコンにまで普及しまくってしまうと、「文章(書物)を書く」という、人間の文化活動の象徴とされてきた行為のあり方が、さらに変わってしまうと思うのです。

一見さんお断り

1週間ぐらい前から、mixiというものをはじめた。
いわゆる、ソーシャルネットワーキングとかいうやつである。
orkutの名前はよく聞いてはいたが、日本独自のやつはぜんぜん知らなかった。

なぜはじめてみたのかというと、id:dotimpactさんの日記を読むためである。
……というのは半分口実で、誰かに紹介されないと見れないところというのを見てみたかったのである。
が、「ボクも仲間に入れてよ〜」とはなかなか言い出せない性格なので、「日記読みたかったら言ってね」と口実を作ってくれたdotimpactさんに感謝。オトナである。(ちなみに3回ぐらいしかお会いしたことがない)

で、始めてみると、言っちゃっていいのかよくわからないので言いませんが、私がここ1年ぐらいの間にお会いしたことがある方で、はてなダイアリーも書かれている方が数人いらっしゃいました。
彼らはmixiでも日記を書いていて、ダブルスタンダードすげえと思いました。ダブルスタンダードの使い方がおかしいかもしれませんが。

私はいまのところmixiでは日記は書いていません。コミュニティという、2ちゃんねるでいう「板」とか「スレ」みたいなテーマごとの掲示板のようなものがあって、興味のあるのを片っ端から登録して、たまに発言してみたりとか。
コミュニティには画像バナーがあって、誰かのプロフィールを見るとそのバナーがずらっと並んでいるのは視覚的にわかりやすくて面白い。
はてなみたいに、発言者名をクリックするとその人の自己紹介ページに行けるので、「名無しさん」として短い書き捨てをする文化である2ちゃんねるとはぜんぜん違う雰囲気。
9年ぐらい前に出入りしていたニュースグループ「fj」みたいな感じ。「上田@科学技術大学です。」みたいな書き出しから始める、本名推奨というか、少なくとも書き逃げはできない文化だったところが。

メンバー間のメール機能もあるのだが、メール格納庫が分散してしまって、後で検索したいときに面倒になりそうな気も。
ただでさえMSNメッセンジャーとかと併用している人多いみたいだし。

トップページに、自分が参加しているコミュニティの最新の発言や、自分の知り合いの最新日記へのリンクがあったりするのだが、何回もクリックやスクロールしないとその発言内容に行き着けない、ひじょうに使いづらいインターフェイスだった。
だが、25日にシステムが変更され、ほぼワンクリックで見れるようになったので、かなり快適になった。

私ははてなダイアリーを最初はプライベートモードで、数人の知人だけに公開していたが、その感覚ともちょっと違う。
こうした半内輪意識みたいな共同体意識は、逆に、ある種の居心地の悪さも感じる。
情報交換ができたらいいなあと思って、mixi内のゲーム開発者の方に声をかけてみたけど、……引かれた。私はまだまだmixi内での距離のとり方をわかってないらしい。
いまのところ楽しいというところまで行っていないのだが、もうちょっと様子を見てみるつもりだ。*1


なお、orkutもお願いしてお誘いいただいた。だが、英語は気合が必要なのでまだ放りっぱなし。

*1:なお、私はmixiでもAYSです

Sturm und Drang

私の『逆転裁判』を扱ったコラムに関して、発熱地帯さんは次のように書いてくださっている。
http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000126.html

開発者やマニア層で話題になっただけに、誉めるレビューはかなり多いのですが、ピンとくるレビューがどうも見当たらず、気になっていました。要するに「俺はこのゲームを誉めたいんだ!」という一言で足りるんですね。他は何もいってません。(別に、「好き好き」という感想なら、それはそれでいいんですが、レビューとしてやられる、と……)
誉めるのは簡単ですが、どこを誉めるかが難しい。そういうことを教えてくれるレビューでした。

レビューにまつわる問題。http://d.hatena.ne.jp/AYS/20030810で私は

個人ページによく「俺のゲーム批評」みたいなコーナーがあって、読むと「グラフィックはよい。操作性はイマイチ。8点」みたいなことが書いてあるんだけど。
こういうのを「批評」と呼んでも悪くはないとは思うんだけど、あまり読みたいとは思わない。
ただ、自己紹介の一部としてなら大いに存在意義がある。

と書きましたが、自己紹介だけでなく、「好き好きレビュー」は、そういう記事がネット上でどのぐらい目にするか、というのでその作品の人気度を測るバロメーターにはなると思います。
ただ、いい指摘をしてくれて、論理的に誉めているサイトはgoogleでは検索不能なので、私のような理屈好きとしては、はがゆいところです。(知っているのはリンクhttp://www.intara.net/link.shtmlに載せているところぐらいですかね)


前にも何回か書きましたが、GAMIANが「ゲームレビュー」かというと、微妙だと思っています。
私の思い込みかもしれませんが、レビューというと、ブックレビューみたいに、まず作品を鑑賞して、その全体を踏まえたうえでその作品の価値を論じる、というもののような気がします。
re+viewと書くから、文章であらすじを概観して論じる、というようなイメージを抱いているのかも。

しかしながら、GAMIANではあまりゲームソフト単体をパッケージとして評価しません。
「ゲームについて」は、そのゲームデザインの一部分を取り上げて、その価値を論じようとしています。
「ゲーム紹介」は、基本的に私が気に入ったゲームを、やはりそのゲームデザインの一部分を取り上げて誉めて、勧めようとしているだけです。
こういうのがゲームソフトのレビューかというと、どうなんでしょう。

突然ですがここでトリビア

AYSは、雑誌『ゲーム批評』のライター募集で、落とされたことがある。

上京したとき(2002年)にアルバイト目的で面接に行ってみたんですが、ダメでした。
ゲーム批評』をなめていたところがあったというのもあり、けっこう悔しかったので、「しょせん三流雑誌『ゲーム批評』の編集者は私の書くものの価値すらわからぬのだ」とそのときは納得しようとしたのですが。
ゲーム全体の良し悪しを論じようとしない私の書き方がゲームレビューとしてはナシだったのかな、とも思っています。

と、例によって脱線しまくりですが冒頭の発熱地帯さんでのアテナさんのコメント。

>レビューとしてやられる、と……
 ごめんなさいごめんなさい。サイトの方では特に深く考えることなく「レビュー」と言う単語を使っておりました。中身は「面白かったー!」というだけのお話なんで、ちょっと書き方を直しておこうかと思います。確かにレビュー=評論ですもんねえ。

ん〜? アテナさんの『逆転裁判2』『3』レビューですが、http://www.yaotome.jp/chkof/gyakutenkof.html http://www.yaotome.jp/chkof/000401.html 対談形式とはいえ、こういう内容が、それこそレビューなのではないですか?
すごく具体的にどこが良かったとか悪かったとか書いている、内容のあるものです。

けっこう友情にヒビを入れたり、無用に敵を作る発言になってしまいがちなので、これまであまり書いてこなかったのですが、ドサクサにまぎれて吐露しますと、私はウェブの対談形式の文章が、実はあまり好きではありません。……という書き方をしているというのは、つまり(ここでは)大嫌いという意味ですが。
たとえば、自分の名前を一人称にして話す女の子がいます。「カナはね〜」とかいうふうに言うカナさんのことです。まず私はあれが嫌いです。おかしいよ、さっちゃん。一人称を表明せず、三人称的に表現して甘えているように感じる。(逆に我が強い表現に感じることもありますが)
対談形式は、その嫌な感じをさらに加速したものに見えます。一人称で堂々と文章が書けず、仮想キャラクターに自分の言いたいことを託す。書き手がその生身を読者に曝け出すのではなく、あくまでそのキャラクターがその人格の責任においてそう語っているのだ、必ずしも自分の意見とは100%一致しない、と言い訳の余地を残しているのです。
さらに、自分の発言に自信がないからなのか、あるいは別の理由からか、もう一人の仮想キャラクターを作り上げ、それにツッコミを入れさせたり、賛同させたりする。
そういうジサクジエンが、なんかすごく独りよがりで、甘えた言論活動に見えてしまうのです。(甘えた自己表現というなら、よくある「100の質問」なんかに対する私の感情も、これに似ています。)*1

また、会話の内容も、どこかのマンガやアニメやゲームで見たようなやりとりのことが多い気がします。凝ったのになると、それぞれのキャラクターのいろんな表情の画像までつけてたり。そういうカルチャーの読者は共同体意識で楽しめるんでしょうが。
しかも一般的に回りくどい。私は余計なアニメ風素人会話芸など読みたくないのです。本題だけ提示してくれと。

というわけで、これまでの私の嗜好からすると、アテナさんの『逆転裁判2』『3』レビューは本来、形式的に辛くて読めない部類に入るのです。

と、ここまで読んだ方は、では私はアテナさんのレビューにも批判的なのだとお思いか。
これはしたり! ズヴァリ今回にかぎってそんなことはないのであります!
いいですか、だいたい、書き出しがこうですよ。

A:やあれ皆様。本日はこの麻宮アテナがお送りする「逆転裁判3」レビュウへようこそ。この空前にして絶後、地も動き天も驚く名作ゲエムの最新版をプレイ出来たその喜びを、まずは皆様と共にお祝いしたい。

やあれ皆様ですよ。レビュウですよ。ゲエムですよ。
つまり『逆転裁判』における文体とは、こういうものなのです。
逆転裁判』を語りたいのであれば! この文体でなすべきなのですよ!
魑魅魍魎の跳梁跋扈する頻闇の帳が帝都を包む宵、決闘の緞帳が開くのです!

*1:甘えた自己表現といえば、この私のはてなダイアリーがその最たるものです。推敲せず、思ったことをそのまま脈絡なく記述しているわけですから。さらに、他人の書いたものを引用して尻馬に乗る、という形式。表題の「follow them」とはつまり他人の言説の後をついていくことを意味しています。