サントリー学芸賞・イズ・デッド! 竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が受賞〜その2

竹熊健太郎さんも紹介していますが、究極の戦後マンガ史図鑑現代漫画博物館』が出たそうです。

現代漫画博物館

現代漫画博物館

たけくまメモ : 「現代漫画博物館」が出ました
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_9788.html

監修は、竹内オサム氏、先日急逝された米澤嘉博氏、ヤマダトモコ氏だそうです。
出るなら出るって言っておいてくれれば……。どうやって年末の予算に計上しよう。


さて、9日付け(id:AYS:20061109)で書いた、
第28回サントリー学芸賞に、竹内一郎氏の『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が、伊藤剛氏の『テヅカ・イズ・デッド』をおさえて選ばれてしまった、という話の続きです。

手塚治虫=ストーリーマンガの起源 (講談社選書メチエ)

手塚治虫=ストーリーマンガの起源 (講談社選書メチエ)

以下の内容は、当初9日付け(id:AYS:20061109)分の追記として書かれました。
この問題については、やはり注目度は高いようで、9日のエントリには現在27のはてなブックマークをいただいております。(ありがとうございます)

ただ、よく考えたら「1度見た人は2度同じエントリを見ない」ということに気づいたので、今回、追加分を新エントリとして独立させました。



ところで、ググったら、『人は見た目が9割』に関するインタビューを発掘。
インタビュー・この人がすごい! 『人は見た目が9割』大ヒットは偶然ではない!? 竹内一郎
http://www.timebooktown.jp/Service/clubs/00000000/interview_06_01.asp
竹内氏は、こういう見た目の人なんですね。




さて、今回の授賞に関して。
漫画評論家永山薫も反応されました。(以下、抜粋)

9月11日に生まれて [事件]なんてぇこった!
http://d.hatena.ne.jp/pecorin911/20061110/1163162678

 上記は三浦さんの講評からの引用ですが、これを読んでまず
「これでは漫画批評の草分け的存在である先輩方も浮かばれまい」
 と思いました。
 石子順造さんも呉智英さんも村上知彦さんも高取英さんも、三浦さんにかかっては
「自由民権の闘士が浮世絵を論じているようなもの」
 と一刀両断ですからね。
 いやはや、無礼者のオレですら、先人には一定の敬意は払いますよ。もちろん批判すべきは批判し、評価すべきは評価します。少なくとも、こんなありえなさそうな「たとえ」を用いて茶化すようなマネはしません。

なにしろ三浦さんは、最近の漫画批評の収穫については最初から「眼中にない」ようなのですから。
 うわあ、大塚英志伊藤剛もいないことになっている。大塚さんはサントリー学芸賞を受賞してんのに無視ですか。ここまで来ると、なんかこう色んな意味で背筋が寒くなってきたよ。大丈夫ですか、ホントに?


エロマンガ・スタディーズ―「快楽装置」としての漫画入門

エロマンガ・スタディーズ―「快楽装置」としての漫画入門

永山薫氏は、最近『エロマンガ・スタディーズ〜「快楽装置」としての漫画入門』を出され、同書はマンガ研究者・評論家の間で高く評価されているようです。





石ノ森章太郎氏・赤塚不二夫氏などとも親交が深かった、トキワ荘のマンガ家たちをよく知るマンガ家長谷邦夫(大垣女子短期大学ほか講師)も、竹内本刊行時に以下のようにコメント。

長谷邦夫の日記 - 専門学校の今期最終授業
http://d.hatena.ne.jp/nagatani/20060214

購入。帰宅すると『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(竹内一郎講談社)がアマゾンから到着していた。

少し読んでみましたが、とても帯コピーにある「本格漫画評論」とは言いがたい雑論」のようです。
すべて、今までどこかで読んだデータ的・回顧的な<話題>のツギハギで語られています。

そのくせに新しいマンガ表現論が語ってきた考え方に目が届いていません。

手塚治虫楽天・一平ら以降のあらゆる有力マンガ家に、幼年時代から影響を受け
ストーリーマンガの創始者になった!〜という、実に珍妙な説明に終始しているように見えます。

もっと読み進めれば、少しは整理されるかも知れませんが…、日本のマンガ「研究」の進化を無視したかたちに近い論法が目立ちます。

まあ床屋政談と思えば、それでいいのかも知れませんが、ちょっと雑過ぎます。
予想通り損した。(笑)

講談社選書メチエのレベルまでが心配。やはり編集者がダメ、ってことなんですよ。
作者はマンガ原作者もやってるから、良くマンガを知ってるだろう〜くらいの認識でお願いしたんだろうなぁ。

賞の選考者は、どういう認識で決定したんでしょうか。
漫画に愛を叫んだ男たち トキワ荘物語 赤塚不二夫 天才ニャロメ伝 ニッポン名作漫画名鑑―名作漫画194本いっき読み!!




ゲームセンターあらし』で一時代を築いた、マンガ家・小説家のすがやみつる菅谷充)氏も、刊行時に書かれていました。
すがやみつるHomepage Diary (06/02c)
http://www.m-sugaya.com/nikki/nik0602c.htm

手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(竹内一郎講談社選書メチエ/2006年2月刊/1,680円)
映画の技法に手塚マンガの技法を当てはめているけれど、手塚先生は、どこまで自覚的に映画をイメージしていたのだろう。この本で解説されている映画の技法との関連は、なんだかこじつけくさい。後出しジャンケンのように見えてしまうのは、(引用者注:すがや氏が)やはりコリコリとペンで斜線を引き、スクリーントーンを貼ってマンガを描いていた経験があるからかもしれない。

人は見た目が9割』(竹内一郎新潮新書/2005年10月刊/714円)........こちらの本でも、マンガについて触れられているが、どうもピンと来なかった。この本、ベストセラーになったのは、タイトルの勝利だと思う。

ゲームセンターあらし (1) 碧雲の艦隊(3) ダブル大和、真珠湾突撃す (ジョイ・ノベルス) 旭日のGP〈上〉 (歴史群像新書)電脳文章作法 (小学館文庫)

↑上の2氏の日記、今年の2月に書かれた文章ですよ。

どうやら、サントリー学芸賞あんな選評を書いてしまった三浦雅士氏は、とりあえず「手塚治虫=ストーリーマンガの起源」でググってみるというアイデアが思い浮かばなかったようですね。それが悲劇の始まりでした。




前回のエントリで、刊行当時のコメントを引用させていただいた、白拍子なんとなく夜話さんが、改めてナイスなツッコミをなさっています。

白拍子なんとなく夜話 - 探そう! 「手塚治虫=ストーリーマンガの起源」突っこみ十選
http://d.hatena.ne.jp/y-shirabyoushi/20061111

手塚治虫=ストーリーマンガの起源」突っ込みいろいろ(みんなも図書館でこの本を借りて探してみよう!)
・「結局、筆で描いているうちは、純粋美術の挫折者が漫画で食べているという構図なのである。」一平や楽天の遺族・関係者はこいつ殴っていいぞ。あと安彦良和御大もこいつ殴れ。

・「『映画監督術』が日本で発売されたのは、一九九六年のことである。それまでは、同書ほど懇切な映画技法の入門書は、日本になかった。」映画関係者の方々もこいつ絞めてくれ。

・「二〇代、三〇代で評価を得た小説家が、四〇代でこれほどまで作風を変えられるだろうか。私は手塚を、とてつもなく巨きな人だったのだな、と思う。」個人的な感想が評論って、ちょwwwwwおまwwwww

・「だが、劇作家の多くは物語が作れない。端的にいって右脳タイプなのである。」劇作家も怒れ。

・「ところが手塚は、左脳タイプの作家である。」もう血液型占いでもしてろよ。

さすがに右脳タイプ、左脳タイプとか言っちゃうのはなあ。疑似科学じゃん。


上で指摘されている、「ほとんど全ページにツッコミどころがある」「単なる著者の主観によって論じられている」という特徴は、あの「ゲーム脳脳」という言葉を生み出したトンデモ本、名著『ゲーム脳の恐怖』と似てますね。

ゲーム脳の恐怖 (生活人新書)

ゲーム脳の恐怖 (生活人新書)

まあ、こちらは惜しくも、2003年度第12回日本トンデモ本大賞次点でしたが。



前回、夏目房之介氏のブログでのコメントを紹介しましたが、他にも「BSマンガ夜話」とかを見ている人なら普通に名前を知っている、ビッグネームの方々が、今回の授賞に呆れています。(しかし主にmixi内で発言されているので、紹介できないのが残念)



その他のネット上での反応:
ad-lib-comic-log: 忘れられた80年代少女まんがの展望へ向けて
http://comiclab.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/80_08b3.html

サントリー学芸賞・イズ・デッド! 竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が受賞

いろんな意味で、痛いニュースです。
すでにいろいろなマンガ評論系ブログで騒がれていますが、まだ知らない方も多いと思いますので、ここでも取り上げます。

第28回サントリー学芸賞に、竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が選ばれてしまいました。

手塚治虫=ストーリーマンガの起源 (講談社選書メチエ)

手塚治虫=ストーリーマンガの起源 (講談社選書メチエ)

第28回 サントリー学芸賞の決定
http://www.suntory.co.jp/news/2006/9630.html
サントリー学芸賞に7氏
http://www.asahi.com/culture/update/1108/019.html


マンガ研究者・評論家の間では、今年マンガ研究書が選ばれるなら、伊藤剛氏の『テヅカ・イズ・デッド』で決まりだろう、といわれていたのです。2006年のマンガ研究・評論界は、(少なくとも単行本に関しては)『テヅカ・イズ・デッド』の話題一色でした。

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

(↑未読ならぜひ読みましょう)

それを、大穴中の大穴の竹内本が受賞。え、えーっ?



手塚治虫=ストーリーマンガの起源ではないことは、近年のマンガ研究・評論本をちょっとでも読めば、そこかしこに書いてあります。
手塚治虫は、偉大すぎたがゆえに、神様扱いされ、なんでも手塚の手柄になっていたのです。近年、それは研究者たちの地道な研究で、否定されてきています。(それでもなお、手塚治虫が偉大なことに変わりはない、というところが手塚の真の偉大さでもあるわけですが)

ちょうど1年前にも、NHK教育テレビNHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」で、立川談志十年一日のごとく、近年否定されている、旧態依然の手塚神話をそのまま紹介して、鼻で笑われたことがありました。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200510/tuesday.html

テヅカ・イズ・デッド』は、そんな古い手塚神話を改めて否定し、手塚を乗り越える新たな枠組みを提示し、新しいマンガ研究・マンガ評論のスタンダードを創りあげたのでした。

竹熊健太郎さんは、次のように評しています。

たけくまメモ : 伊藤剛テヅカ・イズ・デッド』を読む(1)
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_8459.html

本書(引用者注:『テヅカ・イズ・デッド』)の第一の目的は、戦後の「マンガ史」や「マンガ語り」を無意識的に支配していた「起源=神様としての手塚治虫」という呪縛を、主にマンガ表現論の手法を駆使して解くことにある。同時にこれは「(手塚中心史観を離れた)ありのままのマンガ観」がどこまで語れるか? という本でもある。このありのままのマンガ観、本書のサブタイトルに倣えば「ひらかれたマンガ表現論」には、当然手塚マンガそのものも含まれる。その意味で、手塚マンガや手塚本人を貶めるものでは決してない。

また、「ユリイカ」2006年1月号の、「マンガ批評の最前線」とは、要するに『テヅカ・イズ・デッド』のことでした。

ユリイカ2006年1月号 特集=マンガ批評の最前線

ユリイカ2006年1月号 特集=マンガ批評の最前線


でもって、旧来の「手塚=神様」路線を推進し、手塚治虫=ストーリーマンガの起源」なんてカビのはえた神話を、あえてタイトルにするとは、さすが『人は見た目が9割』の著者の竹内一郎先生。「本はタイトルが10割」なのですね。勉強になりました。

人は見た目が9割 (新潮新書)

人は見た目が9割 (新潮新書)

手塚治虫=ストーリーマンガの起源』のオビに、「日本初の本格漫画評論!」とデカデカと書いてあったり、本文に

「私には、マンガ研究家によるマンガ論が物足りなかった。マンガしか知らない人が多いのである。学際的教養が感じられない。加えて、マンガ制作の現場を知らない。マンガ家やマンガ編集者など、現場の人間から見ると、見当外れのマンガ評論がたくさんある」(p.8)
「週刊誌のコラムは書けても、作家論、技法にも論及されたマンガ表現論(文芸評論では『文体論』にあたる)を包括的に論じる力を持った人がほとんどいないのである」(p.8)
紙屋研究所 竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/storymanga.html に詳しいです)

などと書いてあるのも、実にほほえましいですが、まあいいでしょう。

たとえ、
白拍子なんとなく夜話 - 竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源」感想
http://d.hatena.ne.jp/y-shirabyoushi/20060309

 いくつかのサイトで呆れられている竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源」という漫画評論本をこのあいだ読んだんだけど、これはバカにされるのも納得の内容だわ。ていうか評論じゃないし、これ。読んでない人にわかりやすく説明すると、この本は、手塚教のプロパガンダみたいで、手塚治虫の言葉を拠り所に自説を展開するという愚考を愚と気付かずにやっちゃっている正真正銘の電波本である。

↑こんなふうに世の中で評価されようとも、竹内先生がどんな本を出そうが、何を言おうが、言論の自由(出版の自由)は日本国憲法で保障されているので、かまわないわけです。


問題は、今回そんな本にそれなりの権威がある(と思われている)賞が与えられてしまったことです。

第28回 サントリー学芸賞 選評
http://www.suntory.co.jp/news/2006/9630-2.html#takeuchi

かくしてこの半世紀、日本の文化はストーリーマンガによって益するところきわめて大であったのだが、にもかかわらずマンガ評論はまことに乏しい。あっても、安保世代、全共闘世代というような意識でマンガを論じるものばかりだった。自由民権の闘士が浮世絵を論じているようなものだ。事態は、海外に流出することによってはじめて浮世絵の価値に気づいた明治時代にどこか似ているのである。
竹内一郎氏の『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』は、その渇きを一挙に癒してくれる快著である。
その功績の第一は、マンガ評論の基軸を提示したことである。それも二つの意味で提示している。なぜ手塚治虫がマンガ評論の原点になるかといえば、岡本一平田川水泡北澤楽天宮尾しげをといった戦前マンガの担い手の業績がすべて一度は手塚治虫へと流れ込み、その手塚治虫から戦後マンガ、現代のストーリーマンガの担い手たちが登場したと考えることが、おおよそできるからである。いささか強引にいえば、手塚治虫は砂時計の首の位置にあるわけだ。これによって、歴史的俯瞰がきわめて容易になった。
もうひとつは、マンガの絵の分析、コマ割りの分析において、手塚治虫の実験、工夫は、それがきわめて広範かつ大胆に行なわれているために、他を論ずる場合のひとつの規範になりうるからだ。竹内氏は、手塚治虫をひとつのモデルにして、文学でいえば文体論にあたるものが、マンガにおいていかにして可能であるかを示している。
功績の第二は、手塚治虫論そのものとして秀逸であること。手塚治虫が何をしたのか、どこが偉かったのか、まことによく腑に落ちる。説明はきわめて論理的で、たとえば手塚治虫がいかに巧みに映画の手法を取り入れたかの説明など、まさに水際立っている。
そして、これを功績の第三とすべきと思うのだが、手塚治虫以後については意図的に語っていないために、この方法で、松本零士萩尾望都など、手塚治虫以後のマンガ家を論じる評論家が登場することを強く促していることである。
最後に、第四の功績としてサントリー学芸賞を受賞したこと。サントリー学芸賞の幅がまたひとつ広がったことを心から喜びたい。
三浦 雅士(文芸評論家)評

アイタタタ。
「第四の功績としてサントリー学芸賞を受賞したこと」って、それが一番やばいんやん、三浦サン。
このトンマな選評をしてしまった三浦雅士氏への批判も沸き起こっておりますが、芸術・文学部門の選考委員は、 「大岡信(詩人)、大笹吉雄大阪芸術大学教授)、高階秀爾東京大学名誉教授)、芳賀徹京都造形芸術大学学長)、三浦雅士(文芸評論家)、渡辺裕(東京大学教授)」ということなので、この人たちの責任でもあるし、こういう人たちに選ばせてるというサントリー文化財団の責任もあるでしょう。



識者の反応を抜粋します。

手塚治虫=ストーリーマンガの起源サントリー学芸賞! - 夏目房之介の「で?」 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2006/11/post_fa96.html

驚いたなぁ。サントリー学芸賞って、そんなレベルだったんだ。しかも伊藤剛『テヅカ イズ デッド』(NTT出版)をおさえてってことでしょ。しょうもな。

『手塚〜起源』は、もう笑うしかないじゃん。ほとんどページごとに突っ込みどころがある本じゃん。いやはや。宮本氏ならずとも「コラコラ」っていいたくなるよなぁ。

夏目房之介氏にここまで言われる本っていったい……。ちびまる子ちゃん風に)



宮本大人氏(北九州市立大学助教授)も次のように評しています。
宮本大人のミヤモメモ サントリー学芸賞はその歴史に大きな汚点を残した
http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20061109

三浦氏のこの議論自体、養老孟司氏が何度も、そして実はさらにさかのぼって『現代マンガの全体像』(1986年)で呉智英氏が、述べていることの劣化したコピーに過ぎません。

 そして、いずれにしても、このように安易に、東洋・日本の文字文化とストーリーマンガの隆盛を関連付ける議論に対する適切な批判は、すでに夏目房之介氏によって、何度も繰り返されているのですが、「漫棚通信」で批判されているように、竹内一郎氏もまた、「東洋には墨絵の伝統があった」などと、唖然とするような安易極まる文化論への落とし込みを行なっています。

 こうして、「夏目房之介以前」と言うほかないレベルの著作が、マンガ論の蓄積など大したことはないだろうと思い込んだ(としか思えない)選者たちによって、人文社会科学の世界でかなり大きなプレゼンスを持つこの賞を与えられることになってしまったわけです。

私を含む、大学でマンガ研究をしている人間たちがもっとしっかりしていれば、そしてせめて私レベルの研究者が、あと数十人いてくれれば、こんなことは起こりようがなかったわけです。残念です。そして、悔しいです。このことを、自分自身の問題として重く受け止めたいと思います。

ちなみに、『テヅカ・イズ・デッド』の伊藤剛氏は、竹内本の刊行直後に、以下のようなコメントは残しているものの、現在のところブログ上ではこの件に関してコメントしていません。
伊藤剛のトカトントニズム - 買ってきました、竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源
http://d.hatena.ne.jp/./goito-mineral/20060216/1140094007

その他の反応:
漫棚通信ブログ版: サントリー学芸賞
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_7e72.html
恍惚都市 - 第28回サントリー学芸賞
http://d.hatena.ne.jp/komogawa/20061109/1163040971
無言の日記−五月の庭 サントリー学芸賞を旧世代的な竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が受賞してしまったことの意味
http://d.hatena.ne.jp/lepantoh/20061109

今頃麻生太郎さんも『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』読んでるのかなあ。
「アニメ大使」「マンガ大賞」創設…麻生外相の諮問機関が報告書
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/26895/
竹内一郎氏が何かの委員になったりしそうで怖い。


この問題の話、このエントリに続きます→id:AYS:20061112

世界はすでに萌えている?


ところで、「萌えるアメリカ」で思い出したのですが、
27日に放送されたNHK教育テレビの外国人向け日本語学習番組「エリンが挑戦!にほんごできます
を見ていたところ、こんなシーンが。





彼の着ているTシャツに、思いっきり「萌」と書いてありますね。


これは、外国人向けのコンビニのおにぎりの開封のしかた講座
(なんて役立つ企画なんだッ!)のコーナーなのですが、
どうやら日本の旅館に泊まっている外国人旅行者のようです。


残念ながら、彼はアメリカ人にはあまり見えないのですが、「萌え」を理解しているのは間違いない


世界はもう、萌えている!

(なお、この番組は11月2日(木)12:10〜12:30 NHK教育テレビで再放送がありますので、コンビニおにぎりの開け方を知りたい方はぜひどうぞ。それを逃しても、たぶん半年後、1年後にも再放送があります)

クール・ジャパン 世界が買いたがる日本

クール・ジャパン 世界が買いたがる日本

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オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史

オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史

『萌えるアメリカ〜米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』

先週行われた、米国で日本のマンガを出版してきた、堀淵清治さんの
『萌えるアメリカ〜米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』

萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか

萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか

の講演会http://www.aoyamabc.co.jp/events200610.html#ao20061024_1に行ってきたのですが、この模様も、めでたく毎日で記事になりました。


ちなみにこの本、伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド』、東浩紀さんの『動物化するポストモダン』、本田透さんの『萌える男』などとは違って、「萌え」分析の本ではありません。
本文には、「萌え」という表現は(たぶん)まったく出てきません。
堀淵さんご本人がこの方がウケると思って名づけたそうです。さすがビジネスマン。


でも、この本、米国の出版制度がよくわかって大変面白いです。
講演でも聞き手として登壇した賀川洋氏(洋版社長)の著書『出版再生−アメリカの出版ビジネスから何が見えるか』(文化通信社)も、同じく参考になります。

出版再生 ― アメリカの出版ビジネスから何が見えるか

出版再生 ― アメリカの出版ビジネスから何が見えるか



講演では、聴衆のほとんどがスーツを来たビジネスマンで、翻訳ビジネス関係者が多かったです。萌えに詳しそうな、秋葉系は迷い込んでいませんでした。
また、会場には、著名な評論家の夏目房之介さん・藤本由香里さんもいらしていて、夏目さんはブログで詳しい感想を書かれています。


なお、夏目さんも『マンガ 世界戦略―カモネギ化するマンガ産業』で海外マンガ事情を論じていらっしゃいます。

マンガ 世界戦略―カモネギ化するマンガ産業

マンガ 世界戦略―カモネギ化するマンガ産業

他に、アメリカのオタク事情の本といえば:

オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史

オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史

参考までに、上に挙げた「萌え」の議論に興味がある人用図書↓

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

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動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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萌える男 (ちくま新書)

萌える男 (ちくま新書)

against the stream

AYS2004-07-17

研究会。
三鷹まで原付で行こうとしたら迷って、遅れた。宮本さんの発
表を最初から聞きたかったのに迂闊。
当日の模様は夏目房之介さんが書かれています。
http://www.ringolab.com/note/natsume/archives/001878.html

発表ではみなさん、よしなが作品から、かなり高度なことを読み解こうと試みられていて、マンガ史にも疎くて、女性向けマンガリテラシーの低い私にはけっこうついていけてない部分が多くて、ほとんど発言できませんでした。
そこで、ここでは私のレベルで考えることができた点を、書いておきます。


まず、以下は宮本大人さんの当日のレジュメより引用。

2.2 並ぶこと、向かい合うこと
重要な場面で、向かい合っているはずの位置関係にありながら、画面上では同じ方向を向いた形で描かれること(「イマージナリーラインの一致」を著しく逸脱した描き方)が多いのでは。
並ぶこと→同じ方向を見ること、横に開くこと→三者関係にも四者にもなりうる。男/男/…関係。『こどもの体温』。『西洋骨董洋菓子店』小野と千影←まっすぐ向かい合う関係に入ってくる千影に小野が耐えられない。
向かい合うこと→1対1の関係=「二者関係」に入ること。女(母)/女(娘)の場合、厳しい対立関係に。『愛すべき娘たち』麻里と雪子。
女/女の和解:前後に同じ方向を見て並ぶ。麻里と雪子。
女/男が向かいあう位置関係に入ること。『愛すべき娘たち』莢子と不破のみ。←莢子は初めて会ったとき、不破の横に並んで座る。
「分け隔てること」ができない=向かい合う関係に耐えられない。かといって横に並ぶという幸福な関係は、よしなが世界ではおそらく男/男にしか許されていない。←『愛すべき娘たち』においても「ボーイズラブ」作家であり続けている。

関係性の多様さとは、他人を求める感情の多様さに他ならない。日常とともにある「親密さ」としかいいようのないもののうちに存在する、多様さなのだ。
つまり、よしながふみは、我々の「親密さ」を、もっといえば人をお互いに求め合う感情そのものを、まるごと祝福しようとしているようにみえる。
(伊藤、前掲[引用者注:伊藤剛さんhttp://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20040601])

「正面から視線を合わせないような関係」の多様さを特に繊細
に描く、と言うべきではないか。

(写真は、宮本さんが引用されていた『こどもの体温』『愛すべき娘たち』より)

私も、よしなが作品のイマジナリーラインhttp://www.fmworld.net/biz/celsius/3dcg/2000_0926_2.html)が無視されまくりな表現にやや違和感を感じていた。
今回宮本さんが例として紹介した図の部分は、私も気になっていたところだったので、前回の研究会の飲み会の際、恐れ多くも竹宮惠子先生に「このページは……どうなんでしょう?」と遠慮がちに聞いてみたりもしたのだった。
私の感想は、違和感があるので印象的なシーンではあるけれども、あまり効果的ではない気がして、正直、あまり上手くはないのではないかと生意気にも思っていたのだが、竹宮先生曰く、別に下手ではないとのことだった。

これら二つのシーンの違和感の理由は、主に2点に集約される。
同じ顔の向きのコマが、連続することがまず1点。
もう一点は、二人の登場人物が会話しているのに、顔を向かい合わせていないことである。
連続するということでは、アニメーション的に細かい表情を分節して描いて、細かい感情の機微を表現しようとしたのではないかと考えられる。
成功しているかどうかはともかくとして、それはよい。

問題は、顔を向かい合わせていない点だ。4人とも、右を向いている。なぜ右なのか。
下の方の、若い男二人は、友人の墓参りをしているので、二人とも墓に向かって話しているのは、まあ不自然ではない。(表現的には違和感があるが)
上の方の、老人と中年男は、亡くなった老人にとっての娘、中年男にとっての妻について語っているのだ。

すなわち、双方のケースとも、死んだ人間について語り合っているといえる。
例によって夏目房之介さんたちがよくおっしゃっていることの受け売りだが、日本のマンガは通常右から左に時間が流れる。
ゆえに、左向きが順方向で、右向きが逆方向である。
だから、どこかへ出かけるシーンを描くなら左の方に進むのがより自然だし、帰宅するシーンを描くなら右方向に進むように描くのが違和感が少ない。
ここまでは、私の実感としても大いに納得できるのだ。*1

死んだ人間のことを回顧するというのは後ろ向きな行為なので、逆方向である右向きで正しい。
だから顔の向きに関しては、よしながのこの描き方は正しいのだろう。

……と、一度はそう納得した。
だが、ひょっとしてよしながは、そもそも右向きの顔を描くのが好きなんじゃないか? と思い直した。
で、ざっと調べてみると(正確にカウントしてないくて恐縮だが)、よしながの絵では、右向きの顔の方が(たぶん圧倒的に)多い。
特に「今月のハイライトのコマ」みたいな、決めのシーンでは、ほとんど右向きになっている。

一般に、右利きの人は、右向きの顔よりも左向きの顔の方がずっと描きやすい、と思う(私もそうだ)。
右向きばかり描きがちな、よしながふみは、たぶん左利きなのではないか、などと邪推してみた。

もちろんケースバイケースだが、日本のマンガでは、順方向である左向きの顔が並んでいるほうが、流れに逆らわないので読みやすくなるはずである。
一方、よしなが作品では、逆方向である右向きの顔が多い。
よしなが作品におけるイマジナリーライン無視、人物の配置に関する混乱は、よしながが右向きの顔を描きたがるためではなかろうか。
私がよしなが作品に感じるある種の読みづらさは、おそらくそんなところにも一因があるのではないか、と思ったりした。*2


(昼休みを利用して書いたので、詳しい出典などは夜に加筆します。特に「向かい合うこと」に関して、宮本さんは『愛すべき娘たち』からそれを示す端的な台詞を指摘されててシビれましたので、そのことに関しても加筆したいと思います。)
あと、これまで「断ち切り」(ページからコマがはみ出すこと)をしてこなかったよしながだが、新作『大奥』では断ち切りまくり、というどたなかの(夏目さんだったかな?)指摘。気づかなかったッ!

*1:ちなみに、『BSマンガ夜話』で映画監督が語っていたのだが、東海道新幹線東名高速とかもそうだろうな)などを撮るときは、南側から取るべきだと。つまり大阪から東京に行くシーンなら、左から右へ移動しなければならない。理由はいうまでもないだろうが、地図では上が北だからだろう。

*2:誤解されぬように断っておくと、もちろん、そんな単純な理由だけなわけがない。そうであればあれだけの方々が長時間、侃侃諤諤したりしない。

ハロルド作石『BECK』

マンガ夜話に備えてハロルド作石BECK』既刊19巻を読了。長い通勤時間も読書には味方だ。
さらに、タイミングよく今月の『月刊マガジン』(ほとんど始めて触ったようなものだ)が、19巻の続きの話だったようなので、世に出ている分は全部読んだことになる。面白かった。

このマンガに関して、時間があったら書きたいこと。

  • 正統派少年マンガフォーマットだが、スポーツ・バトルものではない。つまり対戦者がいない。ドラマツルギーが発生しづらい、盛り上がりづらい。そして、主人公たちの成長を、「あのべジータより強いフリーザを倒せた、そのフリーザより強い魔人ブウを倒せた」みたいな、少年漫画的「強さ」の上昇曲線(あるいはインフレ)によって表現することができない。この問題をいかに解決しようとしているか。あるいは解決できていないか。
  • さらに、それゆえ立ちふさがる困難の克服方法が、つまり『ロード・オブ・ザ・リング』の戦闘シーン的、「援軍キター!」による逆転劇だ。ある意味、他力本願。
  • 少年マンガの、努力型主人公と天才型主人公について。主人公は早い段階から歌唱の天才であると認められすぎている。
  • ヒロインキャラ群像について
  • 大ゴマの効果
  • 音を表す文字および記号を描かないことによって音を表現すること
  • その他

それにしても『BECK』はスイスイ読める。これだけ早く読めたマンガってなかったんじゃないかなあ。
http://www.ringolab.com/note/natsume/archives/001673.html

 ちなみにナイトキャップは、こんど夜話でやる『BECK』(ハロルド作石)。
P.S や、やばい! 『BECK』面白すぎ! もう3時15分! 寝る! お休み!

http://www.ringolab.com/note/natsume/archives/001798.html

今夜は、そんなワケで『BECK』なのだった。
 OKべいべ、ダックテイルで出ていこうか?

夏目さんも太鼓判ですが、さて放送やいかに。

マンガ夜話

AYS2004-06-28

28日からBSマンガ夜話ですよ。
http://www.nhk.or.jp/manga/

6月28日(月) 23:00〜 「まんが道」作: 藤子不二雄A (6/26和歌山にて公開収録)
ゲスト : (なし)
6月29日(火) 23:00〜 「東京ラブストーリー」作: 柴門ふみ
ゲスト : 生島淳スポーツライター
6月30日(水) 23:00〜 「BECK」作: ハロルド作石
ゲスト : 東野幸治 大塚雄三(ロックバンド「チャコールフィルター」ボーカル)
7月1日(木) 23:00〜 「ボーダー」作・狩撫麻礼 画・たなか亜希夫
ゲスト : 北野誠

ついに『まんが道』キター! でもなんで和歌山なんだ? 椎名町か高岡でやるべきなんじゃないの?

せっかくなので夏目さんのブログへ、トラックバックによろしく。
http://www.ringolab.com/note/natsume/archives/001781.html

 26日(土)、BSマンガ夜話の和歌山で藤子不二雄(A)『まんが道』の回を収録した。
 本番、けっこう盛り上がった。まぁ、このネタで、このメンバーで盛り上がらないはずがない、ともいえるが。この回はゲストなしなので、話も集中したと思う。

おお、放送が楽しみ。

ちなみに私は、『まんが道』は昔全部読んでて、いま藤子不二雄Aランドを毎回買って読み直しているところ(たまり気味であるが)。
BECK』は全巻買って、いま読んでるとこ。面白い。スイスイ読める。8巻まで読んだ。だけど、私はロックに疎いので、どういう音が鳴ってるのかいまいち想像しづらいというか、ぜんぜん違う音を想像してるような気がする。別に嫌いなわけではないので、そのうちいろいろ聞いて基礎教養を身につけたいところである。
著作権がうるさくなった今のマンガには珍しく、他のマンガのキャラを出すお遊びをいっぱいやってて、地味にそれも楽しめる。『恐怖新聞』のキャラなんか準レギュラーだし。『まんが道』キャラもよく出てくるなあ。夜話の同じシリーズで取り上げられるのは偶然か。あと『キン肉マン』のキャラを見かけた。
あと、よく同じく音楽が聴こえるマンガと称される、『のだめカンタービレ』(まだ読んでない)と読み比べるのが楽しみ。
東京ラブストーリー』は今日買ってきた。なぜ今頃これを取り上げるのだろう。